カメラを持って出かけよう〜

旅と歴史と日ごろの出来事をきままにつづっています。 スポーツも大好きです。

旅立ちの日 

7月に入ってバタバタと忙しい日々を送っていました。
7月最初の土日はYちゃんのバレエの発表会のためNちゃんの子守のため茨城へ行っていました。
慣れない幼児の遊び相手はホント体力勝負ですね。
へとへとになりながらおいかけっこや公園の遊び。
そして夜鳴きで子育てとはこんなに大変なのだとつくづく感じました。
子守りはさておいてYちゃんの発表会も無事済み、晴れの舞台をみることができ、これで一区切りといった感じです。すばらしいダイエットのせいかあったよね・・・
子育てとダイエット、バレエのおけいこと大変だったけれど、充実した生活だったでしょう〜
これで心機一転新しい生活ができるわね

そしてインド赴任へ(パパは4月から先に行っている)の準備で7月11日は引越しの手伝い。日通の海外引越しというのなので荷物も全部まとめてやってくれるので、簡単なのですが、インドへ送るもの、トランクルームに置いていくもの、うちに送るものと選別しなくてはいけないので大変です。その間もNちゃんと海へ行ったり遊び相手。この日から真夏のような暑さが始まってハンパじゃない暑さでした。

そして4日ほど我が家に滞在し、16日成田からの出発に向け、15日は成田に前泊しました。
成田エクスプレスに乗り継ぎ、成田ゲートウェイホテルの到着したのが夕方5:30。
中国人が多いホテルでしたが夕食ビュッフェもしっかり頂き最後の夜を過ごしました。

そして朝9:30にチェックアウトし、成田空港第2に到着!
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ここにくると気分が高揚してきます。
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JAL749 12:30発にまだ時間があります。Yちゃんのお世話になった茨城のFさんご夫婦が見送りに来てくれました。
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3歳の幼児がママとふたり8時間半のフライトに耐えていけるのかが心配ですが・・・
Yちゃんは機内の遊び道具をたくさん仕入れたようです。折り紙、お絵かき、シールはり、小さなレゴブロックと・・じっとしていられない3歳児どうかおとなしくしていますように・・・
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とうとう時間になりました。最後のゲートでYちゃんとNちゃんにハグしてお別れを・・・
最後は涙・涙・涙・が止まりませんでした・・見送りってつらいよ〜
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屋上展望デッキより。台風が来ていますが影響はないようで12:30離陸です。
なんか映画のワンシーンのようです。
また来年家族で笑顔で元気に帰ってきてください。GOOD LUCK!!
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開国のまち下田 ペリーロード 

6月10日梅雨の晴れ間を狙って今日は思いつきプチ旅に行ってきました〜
前日、明日の天気予報を見ているとなんと晴れマーク!日帰りでここまで行けるんだろうか迷ったが、決行〜
今日はたくさんの電車を乗りこなして出かけたいと思います。
まずは7:16発、新横浜より新幹線こだまに乗ります。
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700系 熱海まで各駅に止まります。
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熱海着。ここから7:55発JR伊東線に乗り換え。伊豆急下田まで1時間25分ほど。
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JR伊東線は初めて乗ります。向かい合う席もあり、ローカルを感じます。
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いい天気〜気持ちいいぃ〜海が見えてきました〜
1時間20分の乗車も飽きさせない景色が続きます。
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海沿いを走る電車の旅も心の洗濯です。
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伊東から伊豆急に変わります。伊豆高原で前3両だけが下田まで行きます。
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伊豆急下田駅到着!9:20分
ホームには龍馬さんがお出迎えか・・・気分は一気に高まります〜
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10:00からの観光協会のボランティアガイドさんの予約をして。帰りのキップを買って。駅をうろうろ・・
すると京都に行ったとき一緒に写真を撮った下田龍馬会の男性を見かけました。
その人は観光客が駅につくと待っていたのか下田のガイドをなさっているようでした。下田に尽力している人なのですね。
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常夏の島のよう〜
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さすが開国のまち、黒船もあります。
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10:00下田観光に出発〜ボランティアガイドさん1名他の観光客私を入れて3名。約2時間かけて下田の町を歩きます。
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資料片手にもう定年をずいぶん過ぎたおじさんがガイドしてくれます。いやぁ〜それにしても細かい下田の歴史の話しをしてくれます。さすがここでしか聞けない話しもありました。歴史好きには最高です。
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伊豆急下田駅から南へ2分程歩くと、稲田寺(とうでんじ)というお寺があります。このお寺には、下田の歴史に登場するお吉(おきち)という女性の恋人である鶴松という人のお墓があります。
お吉は当時江戸幕府に命じられ、下田に黒船で来訪していたアメリカの総領事、ハリスに仕えた芸妓さん。仕えた期間は3日間ほどと言われていますが、当時の人たちからは唐人(とうじん)として偏見の目と罵声を浴びせられたようです。お吉は苦悩の生涯を送って、51歳の時に下田の稲生川にて溺死してしまった悲劇の女性です。
「唐人お吉」。映画や本にもなっているので、ご存知の方も多いのでは?
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また稲田寺には、下田市の指定文化財である阿弥陀如来坐像も安置されています。
像高208cmもある大きな仏像で、当初は漆箔が施されて金色に輝いていたと言われています。やや形式化した造形から平安時代末期の作品と考えられています
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そして安政の大地震で起きた津波によって犠牲になったひとの供養塔「つなみ塚」があります。
安政の大津波では下田の港に停泊していたアメリカ艦隊(開港を迫っていたいわゆる黒船なども)陸に打ち上げられたそうです。
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唐人お吉の夫鶴松のお墓。
お吉は17才で下田奉行所支配頭取・伊差新次郎に口説かれて異人(ハリス)の侍妾(じしょう)となり、大きく人生が変わりました。ハリスに仕えた期間は、ほんの僅かでしたが、お吉は、「唐人」とののしられ横浜に流れ、後に下田へ戻って小料理屋「安直楼」を開きましたが、酒に溺れて倒産。明治24年3月27日の豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。波瀾にみちた51年の生涯のあまりにも哀しい終幕でした。この事件は、幕末開国に伴う一悲話として、小説にもなり、今では舞台での上演などもされています。
本名:斉藤きち
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以下「宝福寺書」より抜粋。お吉の説明文です。
 お吉は本名を「斉藤きち」といい、天保12年11月10日、愛知県知多郡内海(うつみ)に、舟大工市兵衛の次女としてこの世に生をうけました。4歳のとき家族が下田に移り住み、14歳で芸妓(げいこ)となりました。新内明烏(しんないあけがらす)のお吉とうたわれるほどの評判と美貌でしたが、それが奉行所の目にとまるとこととなり、17歳の時、法外な年俸と引替に心ならずもアメリカ総領事タウンゼントハリスのもとへ侍妾(じしょう)として奉公にあがることとなります。その後は、幕末、維新の動乱の中、芸妓として流浪(るろう)の果てに下田にもどり、鶴松と暮らし髪結業(かみゆいぎょう)を始めますが、ほどなく離別。さらに小料理屋「安直楼」(あんちょくろう)を開業しますが、2年後に廃業しています。「唐人」という相も変わらぬ世間の罵声と嘲笑をあびながら貧困の中に身をもちくずし、明治24年3月27日の豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。波瀾にみちた51年の生涯のあまりにも哀しい終幕でした。
お吉は身よりもなく、宝福寺の第15代竹岡大乗住職が、慈愛の心で法名「釈貞観尼」(しゃくじょうかんに)を贈り、当時境内に厚く葬り、その後芸能人により新しく墓石も寄進され現在に至っています。
お吉の悲劇的生涯は、人間の偏見と権力、その底にひそむ罪の可能性と愚かさを身をもって私達に教えているようです。
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そして次は宝福寺。龍馬の顔が見えてきました。ここはわたしも知っていました。
土佐藩主山内容堂と勝海舟謁見の寺。(龍馬が脱藩の罪を解かれた寺)
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文久三年(1863年)一月十五日、山内容堂は宝福寺に滞在。
当寺を訪れた勝海舟の請を容れ、坂本龍馬の脱藩を免罪。
宝福寺は龍馬の維新回天の飛翔の原点となった。
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文久3年龍馬29歳。龍馬が土佐藩を脱藩して江戸に出て勝海舟のもとで海軍操練所の塾頭をしていた頃の話しである。
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他にも
1.永禄2年(1559)11月、信長の圧迫をのがれ、本願寺第11代顕如並に法孫釈了善、真言を改め開基。
2.嘉永7年(1854)日米和親交渉にあたり、日本全権の本陣となり、下田奉行所が置かれた。
3.唐人お吉菩提寺、お吉記念館(西ドイツ、英国に博物館として登録されている)
このような歴史があるお寺です。
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ソテツの木が南国らしい。
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福山さん似の龍馬の像
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そして宝福寺お隣の下田文化会館(下田小学校跡)下田小学校はしろなまこ壁の小学校だったそうです。
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ここにもなまこ壁が・・・
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そしてその先、吉田松陰拘禁の跡。松陰先生が黒船への密航失敗拘禁された場所です。
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「世の人はよしあしごとも いはばいへ 私が賤が誠は神ぞ知るらん」 松陰先生が詠んだ句です。
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欠乏所跡。日米和親条約により「航海上必要な欠乏品」を供給したところです。現在のスーパーみたいなところだそうです。
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なまこ壁が美しい。
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現在はカフェになっています。
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さて次は了仙寺へ。日米和親条約の下田条約の調印が行われた寺です
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★ペリー来航からの流れ
ペリー日本来航
1852年ペリーは当時のアメリカ大統領フィルモアから東インド艦隊司令長官を命じられ、同年11月24日アメリカ東海岸ノーフォークを出航し、日本に向かいます。当時アメリカではカリフォルニアに金鉱が発見され、西海岸が開拓され、さらに捕鯨業がさかんになってきたため、太平洋の重要性が高まっていました。北太平洋の要衝に位置する日本との国交はアメリカにとって欠かすことのできないことでした。ペリーは当初、12隻の大艦隊で日本に圧力をかけるつもりでした。ところが、故障する船や予定の立たない船が続出し、さらに旗艦として考えていた最新鋭の蒸気船は完成が遅れ、出航に間に合わなくなってしまいました。ペリーは仕方なく海軍最初期の蒸気船ミシシッピー号に乗り、日本に向かいました。アメリカ東海岸から大西洋を南下、アフリカの喜望峰を回り、インド沖から東南アジアを通過し、中国広東に寄港し、蒸気船2隻・帆船2隻からなる艦隊を編成し、日本に向かいました。そして途中琉球・小笠原諸島を経て江戸湾三浦半島の浦賀沖に来航したのは1853年7月8日のことでした。
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日米和親条約
久里浜で日本側に日本に開国を提唱するアメリカ大統領の親書を渡したペリーは翌年の再来航を約束して、いったん中国上海に向かいます。そして再び浦賀に来航したのが、1854年の1月。そして3月31日(嘉永7年3月3日)には日米和親条約が横浜で締結されます。その中で決まったのが、下田と函館(当時は箱館)の開港(箱館は翌年の開港)とアメリカ船の日本における物資の確保とアメリカ人の安全の保障などです。
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ペリー下田来航
日米和親条約により開港された下田には、ペリー艦隊の船が続々と入港してきました。ペリーを初めとするアメリカ人たちは下田湾の美しい風景に簡単の声を上げたと言われています。時は春、海から見た桜の満開の下田港はさぞきれいだったことでしょう。またペリーは下田の町がきれいに整備されているのに驚きました。特にペリーが感心したのは、下水が川に直接流れ込まないように川の脇に下水溝が作られていたことでした。日本でしかもこのように小さな町で、西洋の中心都市にあるような下水溝の設備があるなど、彼らの常識では考えられないことでした。
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●日米下田条約と了仙寺
横浜で締結した日米和親条約では細かい点がほとんど決められていなかったため、下田に上陸したペリーは早速日本側と交渉に入りました。その場所となったのが了仙寺です。十日間にわたる協議の結果、1854年6月17日(嘉永7年5月22日)、日米下田条約(日米和親条約付則13ヶ条)が結ばれました。この中で、アメリカ人は下田の街中を自由に歩く権利、すなわち「遊歩権」を与えられました。これは一種の交流権ともいえるもので、黒船のアメリカ人と下田の町民たちはそこここで異文化の交流を体験しました。
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そしてすぐお隣にある長楽寺です。これは良く知られていませんがロシアも日本に開国を要求していたのですね。日露和親条約の調印をしたお寺です。
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ロシアの全権代表はプチャーチン。
千島列島における、日本とロシアとの国境を択捉島と得撫島の間とする。
樺太においては国境を画定せず、これまでの慣習のままとする。ロシア船の補給のため箱館(函館)、下田、長崎の開港(条約港の設定)ロシア領事を日本に駐在させる。裁判権は双務に規定する。
片務的最恵国待遇。このような条約が交わされました。
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そして情緒あふれるなまこ壁の町並みを歩きます。
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そしてあこがれのペリーロードへ。
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あじさいがきれいに咲いています。
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昔の建物がきちんと残されています。
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これもステキですねぇ。
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そして海がもうすぐそこに。大砲の記念碑もあります。
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下田港に出ました。
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寝姿山もきれいに見えます。
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これがペリー上陸の碑。
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日本最初の開港地
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さぁ〜来た道を戻ります。下田の町並みのシンボルなまこ壁の家が目に付きます。
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旧澤村邸
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下田はいたるところからお湯が湧き出ています。
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ペリーロードを逆戻り。
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静かで本当にいい町並みです。
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よるにはガス灯にあかりがついてすてきでしょうね。
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そして了仙寺宝物館 黒船美術館に行ってみましょう。
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日本人が描いた絵巻物や肉筆画,かわら版、古地図など3000点をこえる黒船、開国に関するコレクション所蔵しています。
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そして開国博物館にも行ってみました。ここにもたくさんの下田の歴史が残されていました。大満足!
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ニューサマーオレンジがおいしそうです。
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松陰先生が泊まった宿のようです。
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そしてお昼もとっくに過ぎて下田駅前の猟師料理のお店に入りました。
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やぁ〜今日はいい天気に恵まれて絶好の散策日和で、いい汗かきました。まずはビールで一杯〜
うん〜んまい
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昼のランチを注文。ここにきたからには金目鯛の煮付けを食べなくっちゃ〜
黄色いごはんはくちなしで色づけしためでたいご飯らしいです。
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最高〜猟師の煮付けです・・・
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大満足な下田プチ旅行でした。
4時半ごろのスーパービュー踊り子号で帰ります。
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下田いいところでした。まだ回りきれないところがたくさんあります。また絶対来ようと思います。
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パノラマビューの列車です。ガラガラで貸切状態。
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車窓からの眺めもホント癒されます〜
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熱海から東海道線で小田原まで、小田原からロマンスカーで町田。
た〜くさん電車に乗った日帰り旅行でした。楽しかったよぉ
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勝海舟の墓 洗足池

5月19日 仕事で東急池上線の洗足池に来ました。
ここにきたからには絶対行きたいところがあります。駅からすぐ中原街道沿いに洗足池はあります。
前々からここに行くチャンスがあったら寄ってみたいと思っていました。
洗足池は勝海舟のお墓があります。
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大森第六中学校 ここが昔の勝海舟の別邸があったところです。洗足池を望む景色のいい場所だったのでしょう。
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勝海舟と言えば私の中では龍馬もいた神戸海軍操練所を作った人というのが一番大きいですね。
西郷さんとの江戸城無血開城の会談を行った江戸の町を戦火から救った人というのも有名ですが。
別邸は残念ながら戦後火事で焼けた為。当時を偲ぶ物は説明の看板しかありません。明治維新後も海舟は西郷隆盛とこの別邸で歓談したそうです。
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洗足池
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ほどなく行くとありました。勝海舟夫妻のお墓。
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大田区の重要文化財。
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立派なお墓です。
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勝海舟が西郷隆盛の菩提を弔うために建てた留魂祠があります。
1868年(慶応4年)、西郷隆盛と勝海舟との会談によってし「江戸城の無血開城」が実現し、当時の江戸の街は戦火から救われた。しかし、隆盛は、1877年(明治10年)の西南戦争で、自らが創った明治新政府によって滅ぼされました。
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夏のような暑さの洗足池でした。
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九段を歩く

5月13日靖国神社、遊就館の帰りせっかく来たのだから、近場を散策して帰ろう〜
靖国を出てすぐ皇居のお堀牛ヶ淵方面を歩く。
歩道橋の上から銅像が見える。ちかくに行ってみると、品川弥二郎と書かれてある。
品川弥二郎といえば現在やっている大河ドラマ「花燃ゆ」にも登場している長州藩の志士ですね。
上野の西郷隆盛像や皇居前の楠木正成像の制作で知られる高村光雲の監督。原型作者は木山白雲、鋳造者は平塚駒次郎、建設者は西郷従道他2845名とされています。建設年月日は不明です。

品川弥二郎は長門の国、松木船津の長州藩足軽、品川弥市右衛門の長男として生まれました。15歳で松下村塾に入門。その後、長州藩士として尊皇攘夷運動で活躍。京都で倒幕運動に奔走しました。

維新後、明治3年(1870)戦争視察の命令で欧州に派遣。ついで留学を希望し、ロンドンに留まりました。その後も軍事を学ぶため兵部省からドイツに派遣され、次第に政治や経済に注目するようになりました。

駐独公使、農商務大輔(次官)などを歴任。明治17年(1884)子爵に。明治24年(1891)年第一次松方内閣の内務大臣となりました。松方の命で強力な選挙干渉を行い引責辞任を余儀なくされました。

晩年は、吉田松陰の遺志を継ぎ京都に尊攘堂を創設し、勤王志士の霊を祀るとともに、志士の史料を集めました。
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そしてそこから程近い場所に大山巌の銅像があります。
大山巌といえば西郷さんの従兄弟で日清、日露戦争で勝利した立役者ですね。
第二次世界大戦直後、多くの軍人の銅像が撤去される中、大山巌の銅像だけは撤去を免れた。日本を統治したマッカーサー元帥が、自室に大山巌の肖像画を飾っていたほどの大山ファンだったからだと言われている。
西郷さんが生きていたらこんな人物だったでしょう〜やはりどこかがっちりした体型が西郷さんを思わせます。
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西の丸公園の中を歩きます。
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田安門
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田安門からお堀を望む。
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【国指定重要文化財】
大田道灌時代、江戸城の合戦場はこのあたりであったといわれています。田安門は、寛永13年(1636)に建てられたと考えられ、昭和38年には解体修理が行われました。北面する高麗門とその西側に直交する渡櫓門からなる枡形門です。高麗門の扉の釣金具に製作に携わったと考えられる職人の名文があります。
田安門の辺りは,古くは「田安口」または「飯田口」ともいい,上州方面への道が通じていたといわれています。
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門名の由来は、門内には田安台といって,はじめ百姓地で田安大明神があったので門名に称としたといわれています。江戸城造営後は北丸と称し,代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。有名な千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。
享保15年(1730)八代将軍吉宗の第二子宗武は,ここに一家を創立して田安家を興しました。宗武は、賀茂真淵に師事し、国学の造形には深いものがありした。宗武の子松平定信(白河楽翁)はここで生まれました。
現在田安門がある北の丸公園には,田安門から南北をつらぬくように西側一帯を田安家,東側一帯を清水家が所有していました。
現在は田安門から北の丸公園へ常時出入りできます。
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日本武道館
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北の丸公園内
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池もあります。
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そして東京国立近代美術館工芸館 旧近衛師団司令部庁舎
工芸館の建物は、旧近衛師団司令部庁舎を保存活用したものです。この建物は、明治43(1910)年3月、陸軍技師田村鎮(やすし)の設計により、近衛師団司令部庁舎として建築されました。2階建煉瓦造で、正面中央の玄関部に小さな八角形の塔屋をのせ、両翼部に張り出しがある簡素なゴシック様式の建物です。丸の内や霞ヶ関の明治洋風煉瓦造の建物が急速に消滅していくなかで、官庁建築の旧規をよく残しており、日本人技術者が設計した現存する数少ない遺構として重要な文化財です。
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東京駅と同じ赤レンガ造りです。明治のにおいがしてきます。
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さぁ〜夕方になりました。帰りはお堀をあるいて竹橋駅から電車に乗り帰って来ました。
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靖国神社 遊就館

5月13日(水)夏を感じる快晴の天気
気になることがあって今日は靖国神社参拝と隣の遊就館(大東亜戦争終戦七十年特別展示)をみようと九段までやって来ました。
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大きな鳥居の先にある大村益次郎の銅像。このまっすぐな靖国神社までのアプローチはなぜか身が引き締まる。
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気になることとは・・・
先日仕事である中国人のお客様との話しがきっかけである。
その方はもうずいぶん長いこと日本に定住しているという。(20年以上)そして日本に帰化している。要するにもう日本人ということ・・・日本語に不自由することなくなんとも早口で日本語を話していました。
そこで私は日本に長いこと暮らして日本のイメージと日本人についてどういう感想をもっているか聞いてみました。その中国人は日本はすごく住みやすく清潔でいいところだと言っていました。そして日本人についても勤勉でまじめで礼儀正しく本当にいい人が多いと言っていました。その方は日本で仕事をしてたくさんの日本人顧客がいてこそ自分の生活が成り立っているのだからもちろんそう思うだろうなぁ・・とは思っていました。
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日本人に帰化するくらいだから本当に日本のことを良く知ってそうしたんだろうと・・わたしの勝手な思い込みはそこで終わってしまった・・・
そして私はこう続けた・・・
日本と中国、アジアでは一番近いお隣の国であるが、なぜ中国人は日本にそんなにまでの敵対心をもっているのでしょうか・・・と(こんなことは本当は話すべきではないことはわかっています。しかしこういう日本人になった方だったら少しはちがう考えをもっているのではないか・・)しかし甘かった・・
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そして悪いことにその人の出身は吉林省(昔の満州国だったところ)でした。そしてその人は延々と語り始めました。現在も父母は吉林省に住んでいて過去の日本が中国に対して犯した悲惨な出来事(満州国侵略と南京大虐殺など)の恨みを小さい頃から聞かされてきたというのです。30万人以上の中国人が日本兵によって虐殺されたという恨みは中国人の血が許さないというのでしょうか。だから現在安倍首相がとっている中国に屈しない態度がいささか気に入らないようだった。
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さざれ石(日本国歌の一節)
話は戻って・・・
私はその話しを聞いているうちに自分の中であなた方は中国教育によってそのような考えを植えつけられていまっている・・日本人には日本人の歴史認識があるのでということを・・(南京大虐殺など本当はなかった。最も中国を侵略したことは意味の取り違えだ)
しかしそれをその人にいくら言ってもきっと反発し怒り狂うだろうと。そう・・日中関係の討論会などをみてもいつもそうだ。中国は中国の固定観念しか聞く耳をもたないのである。私は黙った。
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今までも靖国問題、従軍慰安婦問題、尖閣諸島問題などいろいろな情報は調べてきたつもりで自分なりの考えは持っている。私は安倍首相が靖国神社に参拝するのは賛成だったし、先の戦争で日本のために命を落とした方に手を合わせるのは日本人として当たり前のことであると。そしてどうして日本が原爆まで落とされて敗戦し極東軍事裁判(東京裁判)であのような裁きを受けなくてはならなかったことに疑問を感じているひとりである。

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靖国神社の成り立ちについて調べてみた。
靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官ペリー来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。1877年(明治10年)の西南戦争後は、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。

「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方、政教分離や、第二次世界大戦前の日本について侵略だったか自衛だったかといった歴史認識、日本の支配及び日本軍が送られ犠牲者も出た近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を問題視する意見がある。終戦の日である8月15日の参拝は戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなる。

日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の心の拠り所としてのシンボルの一つであった。

他方、戦争被害を受けたという意見の中国や韓国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に批判反発している もっとも、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日の朝日新聞が『靖国問題』を報道すると、一週間後の8月14日、中国政府が史上初めて公式に靖国神社の参拝への非難を表明した。

終戦から現在までの首相の靖国神社参拝回数
第43代 東久邇宮稔彦王 1回
第44代 幣原喜重郎 2回
第45代第48-51代 吉田茂 5回
第56-57代 岸信介 2回
第58-60代 池田勇人 5回 ​
第61-63代 佐藤栄作 11回
第64-65代 田中角栄 5回
第66代 三木武夫 3回
第67代 福田赳夫 4回
第68-69代 大平正芳 3回
第70代 鈴木善幸 9回
第71-73代 中曽根康弘 10回 ← 1985年から中国、韓国が非難しはじめた。
第82-83代 橋本龍太郎 1回
第87-89代 小泉純一郎 6回
第90代第96代 安倍晋三 1回
中国韓国が文句を言い始めたのは1985年頃から、中曽根さんが行き始めた頃からである。
昭和53年(1978年)に、所謂A級戦犯が靖国神社に合祀された後も、総理大臣は靖国神社を参拝し続けた。
昭和60年(1985年)頃まで、日本の首相は年に3〜4回ずつ靖国神社を参拝していたが、中国も韓国も全く問題視しなかった。
その合祀以降も、大平正芳首相や鈴木善幸首相などが靖国神社を参拝したが、中国も韓国も文句など言わなかった。
朝日新聞がなんらかの刺激をあたえたことは現在確かな事実となっている。そして中国自体日本を敵として扱い強固な姿勢をしめすことは国家にとってより団結を生む構造となっていることは政治評論家の間でも言われていることである。そして外交上の国益の政治的カードとなっていることも中国の巧みな政治戦術なのだ。
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過去に中国に対して先の戦争で侵した罪を謝罪してきた日本。何度謝ればいいんですか。
戦争の終結として1972年日中共同声明、1978年の日中平和友好条約等で戦争に関する清算は済んでいるのではないか・・・いつまでも戦争責任として企業への賠償責任訴訟などしてほしくないです。
そして未来永劫、平和な世界を築いていくのはアジアの大国日本と中国ではないでしょうか・・・
現在また大きな国際問題として南沙諸島を埋め立て実効支配している中国。なんとも国際法も関係ないのでしょうか・・・
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まだ言い尽くせないない中国への不満は数知れず・・・そして日本人の戦争自虐観もこの中国韓国の影響が多く残っていることも悲しい確かな事実なのです。
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遊就館で短編映画「私たちは忘れない」(50分)を見てきました。たくさんの命が日本を守りたいと捧げたことを本当に私たちは忘れてはいけないのです。日本人の誇りを捨ててはいけない。自虐史観はもう捨てよう・・
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人には思想があります。生きた環境、教育によって考えは変わっていきます。それを押し付けるつもりはありませんが世界中でたくさんの民族、人種が存在する中で最低限のお互いの尊重が平和を導いてくれるはずです。
怒り、憎しみからは何も生まれない・・・そんなことまた新たにを考えさせてくれた靖国、遊就館でした。

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名古屋に行ってきました〜その2犬山城〜明治村

5月7日(木)快晴〜
昨日はバイキングでたくさん食べてみんなでお布団並べて寝て楽しかったね。
朝風呂にも入り、名鉄犬山ホテルを9:30にチェックアウトしました。
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大きなティディーベアーのぬいぐるみで記念撮影〜
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ホテルの中庭で少し遊びました。左後方に見えるのが犬山城です。ホテルから遊歩道を通って歩いてもいける距離です。
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きれいな緑のじゅうたんのような芝生。こういう広いところにくると体操(側転)する人1名〜
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そして名鉄犬山ホテルの敷地内?目の前にある「有楽苑」うらくえんと国宝如庵を見学したいと思います。
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「有楽苑」は尾張の国が生んだ大茶匠・織田有楽斎が建てた茶室で、昭和11年に国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構です。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席3名席の1つです。
織田有楽斎は信長の実弟として天文16年(1547)に生まれました。波瀾に富んだ人生を送った彼は有楽の生涯を写すがごとく茶室如庵は各地を点々としましたが、昭和47年に犬山城下の佳境の地に移築され、「有楽苑」と名付けられました。
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苑内の緑もきれい。庭の手入れも行き届いています。
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しゅろなわで結ばれた石がなぜか置かれています・・・
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関守石(せきもりいし)と呼ばれているもので、ここから先には入らないで欲しいという、
亭主の気持ちを表す標識であり、飛石がいく筋にも分かれている場合は、その石が行先案内の
役目も果たすそうです。
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水琴窟(すいきんくつ)
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たまじゃりにみずをかけると本当にこんこんというかキンキンというかきれいな水の音がします。
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旧正伝院書院
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こちらが如庵。柿葺(こけらぶき)入母屋風の屋根の妻を正面に向けて、左方に入り込んだ土間庇を形成し、大悔筆の「」の額をかかげた外観は、端正なものである。
茶室の内部も、有楽窓と呼ばれる窓、斜めの壁と中柱の構え等随所にも工夫がこらされており、独特の世界を創り出している。
普段は非公開ですが、毎月一回のみ一般に公開されます。
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そして車で5分ほど、犬山城に着きました。
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国宝犬山城は昨日の名古屋城とちがってこじんまりとしているがアプローチの石垣の階段から重みがちがうねぇ・・
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国宝 犬山城通称白帝城という
天守構造:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守
天守の高さ約19m
築城年:天文6年(1537) 築城者織田信康(織田信長の叔父)
指定文化財国宝(天守) 主な城主、織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏
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尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。

江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となりました。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。
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北側にみえる木曽川。
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天守からみた景色。天守の外に出る欄干があまりにひくく落ちてしまいそうな気になります。
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欄干が大人の腰にも満たない・・・汗をかいた体に木曽川の風は気持ちいいねぇ〜
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そして犬山の城下町散策です。そんなに大きな町並みではないですが、城下町の風情が出ています。
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お土産に豆吉のお菓子を買いました。
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そして今回のお目当て、明治村に到着〜今日も名古屋は暑いぜよ〜
園内を走る村営バス〜
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広大な敷地の中をSLも走っているとか・・・
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見えました〜モクモクと煙をあげて走るSL機関車。後で乗りたいね。
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そして最初に出会ったのが明治村の目玉!帝国ホテル〜
この建物は、20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成した帝国ホテルの中央玄関部である。
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皇居を正面にして建てられた帝国ホテルは総面積34,000嵳召梁膩築で、中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分が列ねられ、左右に客室棟が配されていた。全体計画から個々の客室に到るまで、きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品である。

この中央玄関は、建物の特色をよく遺しており、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調し、またその帯が奥へ幾段にも重なって、内部空間の複雑さを予想させる。大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出している。
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レンガ型枠鉄筋コンクリート造とも言える構造であり、複雑な架構に鉄筋コンクリートの造形性が生かされた作品である。移築に当たっては、風化の著しい大谷石に代えてプレキャストコンクリートなどの新建材も使った。
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メインロビー中央には三階までの吹き抜きがある。中央玄関内の全ての空間は、この吹き抜きの廻りに展開し、その個々の空間は、床の高さ、天井の高さがそれぞれに異なっており、大階段、左右の廻り階段を昇る毎に、劇的な視界が開かれる。

建物内外は、彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾されている。特に左右ラウンジ前の大谷石の壁泉、吹き抜きの「光の籠柱」と大谷石の柱、食堂前の「孔雀の羽」と呼ばれる大谷石の大きなブラケットは、見る者を圧倒する。

吹き抜かれた大空間の中を光が上下左右に錯綜し、廻りの彫刻に微妙な陰影を与え、ロビーの雰囲気を盛りあげている。
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今でも古さを感じさせないデザインに感服〜
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すばらしい採光を取り入れたライトならではの窓。
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吹き抜けの向こう側にライトの写真が飾ってある。
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中二階のような屋根が低いカフェ。こんなデザイン明治には画期的だったろうな。。。
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日露戦争勝利のポーツマス条約に交わされたテーブルがこんなところに・・・
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明治村はホント1日歩いても見切れないほどたくさんの重要文化建築物があります。
この白亜の教会堂は、近世初頭日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890)かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂で、フランス人神父の監督の下に、本国から取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものである。
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基本構造はレンガ造と木造との併用で、外周の壁をレンガ造で築き、丸い高窓の並ぶクリアストーリーの壁を木骨竹小舞の大壁構造にし、内部の柱や小屋組等を木造で組み上げており、内外の壁は漆喰を塗って仕上げている。正面入口の上には直径3.6mを超える大きな薔薇窓が付けられ、切妻の頂点には十字架が掲げられている。
壁の出隅にはそれぞれ二方向のバットレスが付けられ、その上にピナクルが屹立する。当初は壁や窓のモールディング等はゴシック様式の異形レンガの積み込みにより作られていたが、移築に際し、建物強化のために躯体を鉄筋コンクリートに変更するのに合わせて、モールディングの部分もプレキャストコンクリートに変更するのに合わせて、モールディングの部分もプレキャストコンクリートに置き換えている。
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身廊、側廊からなる三廊式で、前に玄関を張り出し、内陣の横には聖具室を配置している。大アーケード、トリフォリウム、丸窓のあるクリアストーリーの三層からなる典型的なゴシック様式で、身廊上部には交差リブヴォールトが架けられ、その頂点には木彫のボスが飾られている。
身廊の両側に並ぶ柱は、軒まで達する太い角柱に幾本もの細い丸柱を付けた束ね柱になっているが、この柱やリブ等、天井板を除く全ての木造部分は欅で作られ、落着いた光沢を放っている。 外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、色ガラスに模様を描いたもので、外に透明ガラスを重ねて保護されている。
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さてここでお昼にしましょうか・・
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浪漫亭〜明治のにおいがしてきます。
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オムライス〜トマトのソースがおいしかったです。Yちゃんのデミグラスソースもおいしかったそうです。
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お昼食べてもう一回り〜京都市電に乗りました〜
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そしてよくテレビや映画の撮影で使われる町並み〜ハイカラ写真館で記念撮影と思ったのですがNちゃんは100センチ満たないので出来ないとのことでした。残念・・
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西郷従道旧邸
木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代(1877〜1886)のはじめ西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の自邸内に建てたものである。西郷從道は、明治初年から度々海外に視察に出掛け、国内では陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任、維新政府の中枢に居た人物で、在日外交官との接触も多かった。そのため「西郷山」と呼ばれる程の広い敷地内に、和風の本館と少し隔てて本格的な洋館を接客の場として設けたのである。
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在日中のフランス人建築家レスカスの設計と考えられ、半円形に張り出されたベランダ、上下階の手摺等デザインもさることながら、耐震性を高めるための工夫がこらされている。屋根に重い瓦を使わず、軽い銅板を葺いたり、壁の下の方にレンガをおもり代わりに埋め込み、建物の浮き上がりを防いでいること等にその現れをみることができる。
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レスカスは明治5年(1872)には生野鉱山の建設に従事、同6年には皇居の地盤調査にも参加している。また、ドイツ公使館や三菱郵船会社の建物を設計し、明治20年頃まで建築事務所を開業していたが、その傍ら、日本建築の耐震性についての論文をまとめ、自国の学会誌に寄せている。
二階各室には丈の高い窓が開けられている。フランス窓と呼ばれるもので、内開きのガラス戸に加えて外開きの鎧戸が備えられ、窓台が低いため、間に鉄製の手摺が付けられている。
窓上のカーテンボックス、手摺、扉金具、天井に張られた押し出し模様の鉄板、そして流れるような曲線の廻り階段等、内部を飾る部品は殆ど舶来品と思われる。特にこの廻り階段は、姿が美しいだけでなく、昇り降りが大変楽な優れたものである。
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そのほかたくさんの重要文化財をみました。
全部は見れませんでしたが時間があったらまた来たいなと思います。

ちなみにこのようなものがあります。

重要文化財(建造物)

・旧西郷従道住宅(旧所在 東京都目黒区上目黒)・旧日本聖公会京都聖約翰教会堂 附:建築関係資料
・旧品川燈台・旧菅島燈台付属官舎2棟(主屋、倉庫)
・旧札幌電話交換局舎・旧呉服座附:幣串1本
・旧三重県庁舎 附:旧小屋束、建築関係図面11枚・旧山梨県東山梨郡役所 附:棟札
・旧伊勢郵便局舎(宇治山田郵便局舎)※建物の所有者は日本郵政株式会社
・旧東松家住宅(旧所在 愛知県・名古屋市中村区舟入町)附:棟札・重要文化財(歴史資料)
・リング精紡機(1893年、英国製)・平削盤(明治12年、工部省赤羽工作分局製)所有者は岩手県
・愛知県指定有形文化財[編集]・名古屋衛戍病院・国の登録有形文化財[編集]
・第八高等学校正門・大井牛肉店・三重県尋常師範学校・蔵持小学校
・近衛局本部付属舎(皇宮警察坂下護衛署別館)・赤坂離宮正門哨舎・学習院長官舎
・森鴎外・夏目漱石住宅・東京盲学校車寄・二重橋飾電燈
・鉄道局新橋工場・千早赤阪小学校講堂・第四高等学校物理化学教室
・第四高等学校武術道場無声堂主屋・第四高等学校武術道場無声堂弓道場・清水医院・京都中井酒造
・安田銀行会津支店・京都七條巡査派出所・北里研究所本館・幸田露伴住宅蝸牛庵
・西園寺公望別邸坐漁荘主屋・西園寺公望別邸坐漁荘付属屋・西園寺公望別邸坐漁荘門・供待及び塀
・茶室亦楽庵・長崎居留地二十五番館本館・長崎居留地二十五番館別館・神戸山手西洋人住居主屋
神戸山手西洋人住居付属屋
・宗教大学車寄・芝川家住宅主屋・日本赤十字社中央病院病棟・日本赤十字社中央病院付属便所
・歩兵第六聯隊兵舎・シアトル日系福音教会・ブラジル移民住宅・ハワイ移民集会所・六郷川鉄橋・
・鉄道寮新橋工場・工部省品川硝子製造所・本郷喜之床・小泉八雲避暑の家半田東湯
・聖ザビエル天主堂・金沢監獄正門・金沢監獄中央看守所・金沢監獄監房・小那沙美島燈台・天童眼鏡橋
・隅田川新大橋・大明寺聖パウロ教会堂・川崎銀行本店・皇居正門石橋飾電燈・内閣文庫
・東京駅警備巡査派出所・前橋監獄雑居房・宮津裁判所法廷・菊の世酒蔵・高田小熊写真館
・名鉄岩倉変電所・帝国ホテル中央玄関

楽しかった名古屋の旅でした。Nちゃんまた大きくなったら来ようね〜
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名古屋へ行ってきました〜 その1名古屋城

ゴールデンウィーク最終日5月6日 1泊2日で名古屋の旅を計画しました大人の勝手な行きたいところ〜今回は名古屋は犬山にある明治村がメインです。Nちゃんは連れていかれるところはどこでも楽しい・・・

明治村は日本の重要文化財、貴重な日本の建築物が移築されているところです。一度は見てかなくっちゃということで家族旅行をここに決めました

東名高速道路で快適ドライブ。富士山もいろんな角度できれいに見えました。途中沼津サービスエリアで休憩〜ここからの眺めが最高に気持ちいいよぉ〜遠くに駿河湾〜伊豆半島も見えます。高台の斜面にはお茶畑も広がっています。途中休憩でトマトのドライフルーツやお豆を買いました。
車のなかで甘いもの三昧〜かなりおなかがやばいです
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お昼すぎ名古屋に到着!名古屋市内はとても緑が多く大都市名古屋も森の都でとても気に入りました。かなり気温も上がって汗だくになりそう〜名古屋にきたからにはまずは名古屋城〜金のシャチホコみなくっちゃね
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Nちゃんも車から解放されて元気いっぱいさつきの花もきれいに咲いていました。
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入り口に飾られている金のしゃちほこ〜こんなにでっかいのね・・・ここは写真撮影スポット!カシャ
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見えてきました〜お堀には水がありません。石垣が立派です。緑青色に染まった屋根が魅力的です。シャチホコあんなに小さくみえるけど・・実際はあんなに大きかった・・
名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城です。
江戸幕府が体制を確立する激動の時代に、濃尾平野を見晴るかす高台に忽然と巨大な城郭が誕生しました。
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裏の入り口にまわるとこんな鉄筋の建物がくっついている。これはエレベーターと階段のようです。
ちょっと残念な感じです。観光客のために作ったのでしょうが、痛いですね。。。
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城内は鉄骨の階段あり、古来より現存された柱などはなく展示物もたくさんありましたが博物館のようにも感じられました。天守閣、本丸御殿ともに昭和20年の大空襲で焼失し、昭和34年に天守閣が再建されたほか、現在、本丸御殿の復元工事が進んでおり、2013年5月から「玄関・表書院」の公開が始まり、2018年にはすべて完成予定です。天守からの眺め。
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実物大金のシャチホコ模型で記念写真〜
シャチホコ知識〜
鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶと言われることから火除けのまじないとされてきました。名古屋城の創建当時の金鯱は徳川家の権力、財力を誇るもので、貼られた金の量は慶長大判で1940枚といわれています。
Nちゃんも金の小判をお土産に買ってもらっていました
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そしてお昼〜
名古屋の味噌煮込みきしめん&味噌カツセットをいただきました〜
八丁味噌はやっぱり甘〜い
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その後、2005年に開催された愛・地球博の会場だったモリコロパークにジブリの「メイの家」が展示されているとのこと、行ってみましたが時間的に本日は入場制限があり終了してしまい、残念ながら入れませんでした
そして本日宿泊の犬山市、名鉄犬山ホテルに16:00到着!
夜の夕食バイキング前にひと風呂〜大きなお風呂にみんなで入って楽しかったね〜
Nちゃんはみんなにお茶をついでくれました〜「さぁ〜お話ししましょうか〜」のNちゃんのセリフが楽しかったねぇ・・・
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三鷹の森ジブリ美術館へ行く

4月30日(木)ゴールデンウィークに入りました〜一年中で一番いい季節がやってきました!
清々しい風と緑がなんて気持ちがいいんだろう〜
昨日から遊びにきているYちゃんNちゃんとお兄ちゃんと私と4人で今日は三鷹にあるジブリ美術館を訪れてみたいと思います。今日はNちゃんの満3歳のお誕生日です。いっぱい楽しんじゃいましょう〜
ジブリ美術館のお隣まずは井の頭公園で〜
スワンボートは絶対乗る〜Nちゃんの願望がやっと叶いました
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30分700円とは比較的リーズナブルじゃな〜い?
ところどころに鴨ちゃんが顔を出したり引っ込めたり・・・
鴨さがしに喜ぶNちゃん・・・・
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井の頭公園に動物園があるなんて知らなかった・・・
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丹頂鶴〜大きいね〜
結構時間がなくなってきたのでさっとみて終わりにしました。
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そして井の頭公園に隣接するジブリ美術館に到着〜
ここは完全予約制、前売り券をローソンで購入済みです〜
ゴールデンウィークとあってPM4:00からしかとれませんでした。
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森の中の美術館ですね・・・わくわくしちゃいます・・・
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アイビーが絡まる建物といい造りといいほんとジブリの世界観あふれてます。
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訪れた人へのメッセージは・・・
迷子になろうよ、いっしょに。
不思議な建物、趣向を凝らした展示物、
ここでしか観られない短編映画、くつろげるカフェ。
この美術館には様々な楽しみがあります。でも決められた順路はありません。
順路を決めるのはあなたです。
三鷹の森ジブリ美術館では、この空間をこころから楽しみ、
「迷子」になってくれることを心より歓迎いたします。

と書かれていました。
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中は写真撮影不可なので撮れません。3階建ての建物には展示ルームの他、ミュージアムショップ「マンマユート」やミニシアター「土星座」もあります。
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そしてなんといってもNちゃんが楽しんだのはネコバスルームです。小学生以下の子供しかはいれないネコバスのプレイルームです。ネコバスに乗れるなんて最高だね〜ネコバスの中にはまっくろくろすけがた〜くさん〜
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お土産ショップマンマユート
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マンマユートでジブリグッズも購入しました〜おそろいのまっくろくろすけの靴下やハンドタオルなど・・・
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そして特別展「クルミわり人形とネズミの王様展」もみてきました。本物のくるみ割り人形でくるみを割る体験もさせてもらえました。
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ここでしか観れないジブリ作品ミニシアター土星座で上映されている映画も観ました。
今回は「やどさがし」20分ばかりの短編映画ですがタモリさんの声優がとっても楽しい貴重な作品でした。
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5月からはこれらしい「メイとこねこバス」・・これみたかったね・・・
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ラセン階段塔を登って屋上へ・・
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屋上庭園にはまもり神がいました。
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そして最後にカフェ「麦わら帽子」へ・・・
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カフェは満席だったのでテラスで一服〜
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森のソフトクリーム(かわちばんかん)
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ホットドッグ
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手洗いもこんな趣向が・・・かわいいぃ
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たっぷり2時間閉館までしっかり遊びました。電灯にあかりがついて・・さぁ〜もう帰りましょう〜
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トトロもみんなをお見送り〜また来るね〜トトロ・・・
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た〜くさん思い出つめておうちにかえりましょう〜
大満足のジブリ美術館でした
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江戸散歩 両国〜江戸東京博物館「大関ヶ原展」

木々の緑も少しづつ濃くなって今日もぽかぽか陽気〜
ついお散歩したくなっちゃいます
そんな4月22日(水)両国の江戸東京博物館で「大関ヶ原展」が開催されているとのこと、江戸散策もかねて両国へやってきました。両国の駅は力士さんの駅!さまざまな力士の展示がされています。
白鳳や武蔵丸関の写真が飾られています・・・
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203cmとあるのはあの曙関の身長です〜すごい大男ですよね
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駅を出ると道沿いに力士のモニュメントがたくさんあります。
さすが江戸時代から両国はお相撲の町なんですね。
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江戸東京博物館とは反対側を歩いて5分ほど、回向院があります。
回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
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この起こりこそが「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られてきました。
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万霊塔の上に立つ聖観世音菩薩立像。
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海難供養塔。
そして余談ですがこの敷地内に鼠子像次郎吉のお墓があったようです。後で気がつきました
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そして、駅のマップに書いてあったので道なりに進むとなんと赤穂事件の吉良上野介の邸宅跡がありました。
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吉良邸は、浅野匠頭守による殿中刃傷事件の後の元禄14年(1701)9月3日に吉良上野介義央が当地を拝領して建設された吉良家の上屋敷で、坪数2,550坪ありました。当地で赤穂浪士による仇討ち事件が起こり、その名所を惜しんだ地元の両国3丁目町会有志会が発起人となったのがきっかけとなり、本所松坂町公園として残されています。
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旧本所松坂町(両国3丁目)吉良家上屋敷は広大で、東西73間(134m)、南北は34間(63m)であって、坪数2,550坪と記録されています。
吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが、元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが元禄16年2月4日ですから、吉良家の上屋敷となっていたのは、前後1年半に満たない短期間でした。
屋敷の表門は東側、今の両国小学校に面した方にあり、裏門は西側に位置し、東・西・南の三方は周囲に長屋があり、北の方だけ本多孫太郎、土屋主税の屋敷と地続きになっていました。建坪は母屋が381坪、長屋は426坪です。
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現在、吉良邸跡として残る本所松坂町公園は、当時の76分の1にすぎませんが、地元両国3丁目町会有志会が発起人となって、邸内のいわゆる「吉良の首洗い井戸」を中心に土地を購入し、昭和9年3月東京市に寄附し、これによって貴重な旧跡が維持されました。なお、区移管は昭和25年9月です。公園の周囲にある高家を表すなまこ壁の、長屋門を模した高さ2mのコンクリート壁と門とが、わずかに当時の模様を偲ばせます。
なお、毎年12月14日義士討入りの日には、地元義士会によって義士祭が、その日の午後には同じく吉良祭が盛大に行われています。
ちなみに、この敷地内に鎮座する松坂稲荷は、もと兼春稲荷と称し吉良邸内にあったもので、さらに古く、この地がまだ宅地開発される以前から、この周辺の土地に祀られていたものです。
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松坂稲荷大明神
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吉良上野介義央公。こんな顔をしていたのでしょうか・・
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みしるし洗いの井戸。これは、赤穂浪士が打ち落とした吉良の首を洗ったものらしい。
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八重桜も咲いていました。
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吉良まんじゅうを売っている和菓子屋さん。鬼平犯科帳のふるさとでもあるんだな・・・私も柏餅を買ってみました。
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両国の町もいい町ですね・・・少しゆくと芥川龍之介の碑がありました。幼児期から青年期までをこの両国で過ごした・・とかいてある。芥川龍之介もこのあたりで育ったのか・・
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その隣に両国小学校〜新一年生の帰りの時間、お迎えの親が並んで待っている。
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両国小学校のとなりに公園が・・・そこにはなんと勝海舟生誕の地という石碑が・・・
そしてびっくりなことにこの字は西郷隆盛(吉之助)書いたものらしい!!
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こんななにげないところで出会うとは・・感動だぁ〜
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そして江戸東京博物館にやってきました〜かなり大きな建物です。
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お昼を食べて2時すぎ〜入場者で混雑しています。
この展覧会は徳川家康没後400年を記念して開催されたものです。
家康の所蔵品もかなり多いですが徳川四天王や豊臣秀吉関連もたくさん展示されていました。
戦国時代に詳しくない私はちょっとだれがだれだかわからないところもありました。
一応東軍と西軍の武将の名前はしっているつもりでしたが・・・(おはずかしぃ・・)
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人の間をかき分けてみる感じでしたが、有名な関ヶ原合戦図屏風、家康朱印状、前田利家血判起請文、刀や兜、具足など貴重な重要文化財を見ることができてよかったです。
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帰りはロマンスカーでゆったり〜吉良邸前で買った柏餅(味噌餡)をいただきながら帰ってきました〜
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2015春 倉敷・姫路城の旅

倉敷・姫路の旅2日目〜
5:30起床、6:30ホテルの朝食バイキングをいただき8:00ツアーのバスで出発〜
今日も小雨が・・・・でも姫路地域は曇りくらいの天気予報だからぜひ雨だけは降らないでほしい
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2時間弱バスに揺られ姫路城に着きました〜
10:00でももうたくさんの観光客が来ています。駐車場もすごく広くってびっくり〜遠くに見えるあの真っ白いお城に胸がワクワク
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どうにか天気はもって、桜もきれいに咲いているよ〜
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敷地の周りに大きなお堀。


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白亜の要塞を囲むお堀もみごとだ!
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世界遺産の姫路城ですがお城のなかでも日本に4つあるの国宝のひとつです。
松本城、彦根城、犬山城、そして姫路城。現存するお城が絶対条件です。
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さぁ〜もうすぐだよ〜
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みえてきました〜
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1日15000枚配布の整理券はGETできた。しかしここから並んで天守閣までいくには2時間かかるという〜絶対登るぞぉ〜
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ちょっと斜めの角度からみるのが真っ白に見えるのね〜
白んでいるのは曇っているわけではありません、カメラの状態が悪いものです。
天気も若干よくなってきました。青空は望めませんでしたけど空高くそびえる姫路城に感動〜
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桜が似合うお城です。
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いろんな角度から撮ってみました〜やっぱり一眼レフカメラじゃないとだめだなぁ・・・
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お城の周りをまわりながらやっと城内部に入ってもなかなか上には登れません。
かなりの人が小さいそれも70度はあるかの階段を登っていかなければならないので多くの人が登れないのです。
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小天守
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かなり高いところまできたと思ったけれどまだ3階部分でした。
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そしてとうとう最上階天守へ!
ここはお城にはめずらしい神社があります。長壁神社といって姫山の地主神で近代になって天守に祀られるようになりました。
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天守からの眺め〜
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結構高いね〜
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真っ白に見える瓦はかまぼこ型のように丸く漆喰で塗られています。盛り上がって屋根全体が白くみえるのはこのようなわけがあったのです。
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日本一長い櫓で千姫の間にもあとで行ってみましょう〜
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でっかいしゃちほこ〜向こう見えるまっすぐな道の先が姫路駅〜
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桜も散りかけていますが風に吹かれて桜吹雪もとってもきれいよ〜
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たくさんの撮影絶景ポイントがあります。ここからの眺めもけっこういいです。
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ズームアップ!見る角度でずいぶん屋根が真っ白にみえる。この白さも風化によって何年かだけしかみらえないんだという。貴重な真っ白な白鷺城をみておこう〜
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NHK番組で姫路城の修復に携わった職人さんのテレビをみたことがある。この漆喰を守るため一年中どこかを補修して塗っているのだそうです。
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すごい武者返しの石垣。
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そして姫路城の敷地内に番町皿屋敷で有名なお菊井戸もありました。
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怪談話し〜一枚〜二枚〜幽霊がでてきそう・・
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千姫の間にいきましょう〜
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遅咲きの桜は今が見頃〜とってもきれい〜
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敷地内を散策する間姫路城をパチパチとりまくり〜
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日本一長い櫓からみた天守閣。
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長い櫓は小さな部屋がいくつも仕切られて並んでいました。千姫に仕えた女官たちが暮らしていた様子がうかがえます。
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千姫がかるた遊びをしている人形セット。
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とりあえず2時間びっしり見学できました。天守閣までは時間かかりましたが他は以外とスムーズに見ることができました。
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ゆるキャラの「しろまるひめ」もいました。
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そしてお城を退場してお昼にしましょう〜
この日は風が冷たく寒くなってきましたので3人そろって官兵衛うどんをいただきました。
そして集合時間まで1時間ほど時間があったので姫路駅のほうへ町歩きをしました。
途中お茶をしながら時間をつぶし3時姫路城をあとにしました。
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そして今回最後の訪問地瀬戸内海を見渡せる牛窓へやってきました。
1時間ちょっとバスに揺られました。(後ろの席のおばさんの話声がうるさくて寝られませんでしたが・・・)
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オリーブで有名な小豆島が向こうにみえます。
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あいにく曇っていますが晴れていたら高台からみえる景色は絶景でしょう〜
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レストからみえる小豆島。瀬戸内海特有の小さな島々がたくさんみえます。
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小豆島の名産オリーブの木もたくさんありました。そしてお土産にオリーブの美容液とハンドクリームを購入しました。
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そして岡山駅に6時頃到着し、岡山駅で夕食の買い物をし、7時16分の新幹線のぞみに乗り込みました。
楽しかった倉敷、姫路の旅も終わりです。
久々に友との語らいもでき、充実した楽しい2日間でした。みんな健康でそしてまた元気で旅行いけるよう、明日からがんばっていきましょう〜虹子さんKさんお世話になりました。
そして虹子さん高田の写真ありがとう〜みんなこれみて元気になりましょう〜

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