カメラを持って出かけよう〜

カメラと旅と歴史が大好きで、主にひとりで写真を撮りに出歩いています。

加賀百万石 金沢の旅1

6月5,6日で加賀百万石 金沢に行ってきました。
梅雨に入ったとはいえカラッとした気候。でももうすっかり夏の気配も感じられ、緑がとってもきれいです。
(写真は兼六園)
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新幹線のぞみで名古屋まで、名古屋から特急しらさぎで2時間。
しらさぎは初めて乗りました。北陸新幹線で行くのがステイタスであろうが旅費の安さではこれにはかなわない。
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田園風景を眺めて、止る停車駅のレトロさに感動して、まだ見ぬ土地に思いを馳せる。
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北陸新幹線開通で観光客は倍増〜街は活気で満ちている。
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そしてガラス張りのつくりの駅舎は現代アートのようです。
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そして金沢駅のシンボルも立派なものでした。
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この日は加賀百万石まつりの最終日のようでした。駅前で華やかな催しが行われていたようです。
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駅前のオブジェ。なぜやかん?
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本日の宿泊先、ホテル金沢は最高の立地。駅ビルから傘入らずで入れます。
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お昼過ぎ古地図めぐり。現地ボランティアガイドさん(まいどさん)つきで長町武家屋敷などをまわり兼六園まで2時間かけてまわります。
用水路の整備はお城づくりにはかかせません。前田家の苦労が読み取れます。ブラタモリ風に土地の成りたちまで考えられないけれど・・・
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長町武家屋敷、足軽資料館などみてまわりました。
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加賀藩の藩祖前田利家が金沢に入城したのは1583年のこと。金沢は初代利家から明治の廃藩置県にいたるまで加賀藩前田家十四代の城下町として発展しました。三代藩主利常の奥方に二代将軍徳川秀忠の娘、珠姫を迎えたのをはじめ、代々の藩主は徳川将軍家との結びつきを深め、百万石の大藩を維持してきました。
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大河ドラマ「利家とまつ」見ましたが、かなり戦国時代の相関図が勉強になったドラマと記憶しています。
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一般に、大身の家臣の屋敷は、大藩の場合、藩内の自領に置かれました。ところが、加賀藩では、禄高や身分に関わらず武家の屋敷はみな城下内に集められています。このような形態は金沢と江戸ぐらいのものだったようです。加賀藩のような大藩、仙台藩や薩摩藩では、大身の家臣は藩内の自領に住んでいます。17世紀後半、城下建設がほぼ完了した時点で、城下の約4分の3を武家地が占め、城の周囲には、加賀老臣八家と呼ばれる大身をはじめ上級武士の屋敷が集まっていました。屋敷の広さは100石につき約160〜170坪、平士クラスの平均的な屋敷でも約240坪。八家の本多家は5万石、横山氏は3万石など1万石以上が12家もあり、当時は広大な屋敷がひしめきあっていたのです。
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兼六園前まできました。金沢城公園付近で花嫁さんに出会う。
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本日は無料開園日。たくさんの観光客でにぎわっていました。
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兼六園での写真のできが本当に悪かったので載せたくないのですが一応記録として残しておきます。
天気がよすぎて太陽で白んでしまうのはPLフィルターとか使わなきゃいけないのよね。持参せず後悔です。
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日本三名園の一つ、兼六園は面積約3万5000坪、金沢城の東に広がる外庭でした。その造園は1676(延宝4)年、5代藩主綱紀(つなのり)に始まり、12代斉広(なりなが)のとき、曲水をとりいれて回遊式大庭園がつくられます。奥州の白河藩主白河楽翁(らくおう・元老中松平定信)が、名園の条件である「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六勝を兼ね備えているという意味から「兼六園」の名を与えました。13代斉泰(なりやす)の時代に、現在の庭園にほぼ近いかたちができあがりました。
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そして成巽閣(セイソンカク)加賀前田家奥方御殿へ
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文久3年(1863年)、前田家13代齊泰の母である12代奥方、真龍院(鷹司隆子)の御殿として、兼六園に造営された加賀百万石前田家を代表する建造物。大きな特色として、風格ある大名の書院造りと、雅趣に富む数寄屋風書院造りの二つの様式を併せ持つ。花鳥の意匠や、豊かな色彩にあふれた優美な佇まい、細やかな気配りを随所に感じさせ、庭園とともに国の重要文化財に指定されている。季節にあわせて、雛人形、衣裳、調度など、前田家伝来の品々を展示している。
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そして兼六園となりにある金沢城公園に行ってみました。
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金沢城は天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。
しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。
慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、
本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
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寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより
城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出されました。
内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。
その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、
本丸の櫓は再建されませんでした。
細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、
この後天明8(1788)年に再建されたものです。
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平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、
文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、
安政頃の景観を再現しました。
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そして王泉院丸庭園へ・・この庭園で19:15からライトアップが開催されるとのことで1時間ばかり時間を過ごしました。
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王泉院丸庭園は饗応の場として活用された「兼六園」に比べ、藩主の内庭としての性格が強い庭園だったと考えられています。庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、意匠性の高い石垣群を庭の構成要素とする、他に類を見ない独創的な庭園であったと考えられています。
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そして19:15ライトアップが始まりました。なかなか暗くならないのでいまいちライトアップが引き立たなかったですが、琴の音色にあわせて7分間夕焼けの赤色からさまざまな色に変化していくすがたが表現されていました。(携帯で撮ったもの)
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そして8時金沢城公園をあとにしバスで駅前まで帰ってきました。
そして本日の夕食はちょっとリッチに加賀料理をカウンターでいただきます。
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ホテルに近い料亭(大名茶家さん)なので気がゆるんでぬる燗をいただいちゃいました。
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お造り
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ぬる燗の一合はあっという間に飲みほし、続いて生ビールもくいっくいっと・・・
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加賀野菜の加賀れんこんや金時草が色鮮やかです。
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金沢の郷土料理これが治部煮(じぶに)。鴨肉や鶏肉の切り身に片栗粉をまぶし、すだれ麩、野菜と共にだし汁で煮る椀物で、薬味にわさびを添えます。
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そして蒸し物。これも上品なお味でした。
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あとはデザートをいただいて満腹な宴(うたげ)でありました。
カウンターで板前さんと少々会話しましたが、やはり北陸新幹線ができて金沢はめざましい発展を遂げていると話しをしていました。今日行った香林坊の若者の多いこと、兼六園、金沢城公園の歴史的建造物の整備のすごさ。そして板前さんおすすめの21世紀美術館もすごい人気らしいです。この話しを先に聞いていたら行ってみたかったなぁ・・・それにしても私が想像していた古都金沢のイメージをはるかに超えた近代的な街づくりが行われているなんだなぁ〜と感じました。
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かるがもの親子

家の近くの川でかわいいものを発見!!
かるがもの親子です。
かわいい〜ぃね〜
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お母さんかもにしっかりついていくコガモたち。
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全部でコガモは16匹。こんなにたくさん産むんだね。
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梅雨も明ける頃よく見かけるカルガモのお引越しも見てみたいなぁ
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明神池 河童橋

昨日は河童橋から徳沢まで3時間はかかった。というのも途中で休憩や写真を撮りながら歩いたのでそれくらいかかったのだと思う。通常2時間といのが普通らしい。今日は歩きながらの撮影は少し控えて目的地に向かう。徳沢から1時間くらい歩いたところで明神池に着いた。今日は土曜日で昨日より上がってくるハイカーたちも多いように思う。
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明神池へと向かうつり橋。
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明神池は一之池と二之池、大小2つからなる池で、池畔には穂高神社奥宮が鎮座する神域です。
明神池は梓川の古い流路が、明神岳からの崩落砂礫によってせき止められてできた池です。明神岳から常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しない透明感あふれる水面が空を映し静寂に広がります。池の間近にそびえる明神岳、萌えるケショウヤナギやクマザサの緑、池中に配された大岩石は自然の造形美そのもの。
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明神池は穂高神社の神域で別名「鏡池」「神池」とも呼ばれます。
穂高神社の御祭神は遠く北九州に栄えた海神で、北アルプスの総鎮守として鎮座します。上高地は古くから、神降地、神合地、神垣内、神河内などとも呼ばれ、神々を祀るにもっともふさわしい神聖な場所とされてきました。
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なるべく人を移さないように撮るのが大変です。やっと人がいなくなって撮れたボートと池のショット。
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明神池から河童橋まで1時間。最後は休憩もなかったのでかなりバテました。昨日より天気が曇ってきたかな・・・
やっぱり昨日ここのショットを撮ればよかった。
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土曜日のちょうどお昼。上高地の河童橋は大勢の観光客でにぎわっています。
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昼食を済ませあとは自由行動〜河童橋目の前の五千尺ホテルのカフェで講師の先生や添乗員さんとケーキセットでお茶しました。初めてにしてはよくがんばった2日間でした。
どうしたら思うように撮れるかカメラをいじりだして9ヶ月。(いままでオートでばかり撮っていたが)先生が言うカメラ用語も少しはわかるようになってきたが、まだまだ状況に応じた設定ができない。そして何をどう表したいか・・・まだまだ勉強が必要と実感しました。
でもファインダーを覗いてこの一瞬を残す・・これがカメラの醍醐味。下手でもこのこれを続ければきっといい写真が撮れるかもしれない。先生が言っていました。何枚も撮ってその中からいいものを選ぶのではなくて、考えて撮る。自分の意図することが撮れるまで粘る。そして撮ったときは70点くらいでいい。あとは補正して100点に近づけるのだそうです。そして初心者はまずいい写真といわれている人が撮った写真の構図などを真似て撮ることも大事だと言っていました。配置、構図、あとはピントが合えばそこそこ補正できるようです。
まぁそれが一番むずかしいんだけれど。
先生が出版している山岳写真全集を購入しましたので風景写真の参考にがんばろうと思います。
たくさんの経験ができた実りある2日間でした。



プロフィール

ゆう

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