旅行第3日目〜ここは足摺〜四国最南端であります。なんと朝から雨模様〜私たちは晴れ女だったのに今日は桂浜行くっていうのにどうしたことでしょう〜こんな雨のなか出発前に足摺観光白山洞門にいくのでしょうか・・・右手に人の列が見えました。
今日も8時から行動開始〜ホテルを出発してまずは足摺岬に向かいます。
足摺岬の入り口に立つ、ジョン万次郎の銅像。毎年1月から2月には椿の花に彩られ、万次郎のアメリカでの功績をたたえています。
万次郎は1827年、土佐清水中浜に漁師の息子として生まれました。万次郎は14歳の時8人の仲間たちと海に出ますが、嵐によって遭難し、孤島に漂着。半年に及ぶ無人島生活を経験した後、ホイットフィールド船長率いるアメリカの捕鯨船「ジョン・ハラウンド号」によって救出されます。しかし、日本は鎖国時代。外国船では日本に帰ることができず、船長は万次郎たちをホノルルへと連れていくことにしました。
船長と共にアメリカへ
その道のりのあいだ、万次郎は誰よりも熱心に働き、「ハラウンド号」の船員たちのあいだでも人気者となりました。そんな万次郎の才能を見抜いた船長は、彼を自分の故郷であるアメリカのマサチューセッツ州フェアーへブンへと連れて帰ることを考えます。それを聞いた万次郎も自身も、船長と共にアメリカに行くことを決意。仲間たちと別れ、まだ見ぬ未知の世界へと向かうのです。
アメリカで学ぶ
こうしてアメリカへと渡った万次郎は、英語、数学、そして航海術を学びました。船長からは、船の名をとった「ジョン・マン」という名で呼ばれ、自分の息子のようにかわいがられます。やがて中学校を卒業した万次郎は、捕鯨船に乗って7つの海を航海。その後カリフォルニアでのゴールドラッシュで資金を集め、ホノルルで待つ仲間を連れて、日本へと帰国することにしたのです。
日本での活躍
帰国した万次郎は士分の身分を与えられ、故郷の中浜を姓に「中浜万次郎」と名乗ることになります。万次郎が帰国した頃の日本は開国を目前に控えており、万次郎がアメリカで学んだ英語や航海術は日本にとって非常に重要な役割を果たしたのです。日米修好通商条約を結ぶ際、万次郎は使節団としてアメリカに渡り、通訳という大きな任務を果たしました。このとき同じ船の中には福沢諭吉がいたと言います。
その後も万次郎はアメリカやヨーロッパへの渡航や捕鯨など、多岐に渡って活躍。しかしその後の1898年、病に倒れその生涯を閉じることとなりました。(高知県サイトより)
この銅像は、彼を息子のようにかわがってくれた船長の故郷・マサチューセッツ州フェアーへブンを向いており、今なお航海のロマンを漂わせています。手には定規とコンパスを持っています。
龍馬とも交友があったようで、龍馬の海の向こうの世界に思う心に大きな影響を与えたことでしょう〜
せっかく楽しみにしていたのに雨も強くなってきました。みんな足摺岬灯台まで行かないの〜
足摺岬灯台までは椿の木がドーム状になっている遊歩道を歩いていきます。
この土地は冬でも気候が温暖で、可憐なアシズリノギクや椿が目を楽しませてくれます。
黒潮と断崖絶壁の地形から椿の木は下から吹き付ける風によってドーム状になったようです。
そんな遊歩道を雨の中歩いて、みごとな雄大な景色に出逢いました。
四国最南端までやって来ました。このビューポイントでも強風のため傘を飛ばされている人がいました。あの灯台まで行ったらどうなるんだろう〜〜すごい時にきたもんだ
下に見える海の色はエメラルド〜晴れていたらもっときれいなんだろうなぁ〜
足摺七不思議の亀呼場。弘法大師にまつわる伝説スポット。弘法大師さまがここで亀を呼ぶと亀が現れたという伝説の場所。今日のような天気は今にも出てきそうな気がしました。
台風のメッカとも言われる足摺ですが、龍馬もここを訪れたでしょうか・・・・この景色はきっと江戸時代でも同じだったんだろうなぁ・・・・
白亜の足摺岬灯台。雨の中こんなところまできたよ〜いい思い出になりました。
そして次は足摺岬よりほど近い四国八十八札所めぐり、第38番札所の金剛福寺。
今日は雨が降っているからそう思うのか、雨が似合うお寺です。
弘法大師さまもいます。この金剛福寺はお遍路さんにとって一番の難所らしいです。37番から38番の経路が一番距離が長く、険しいのだそうです。たくさんのお遍路さんに出会いました。
素敵な雨のお寺ですね・・・雨の金剛福寺もいい思い出になりました。
びしょびしょになりましたが、次に行く桂浜だけは晴れていてほしい。黒潮市場でお買い物〜
かつおのタタキが目にとまります。
試食もありますよ〜〜
濡れた服も乾くころ高知市内に入ってきました。3日目のバスの席は一番前なのでよ〜く話しが聞けました。なんたって高知の話しは聞き逃せない〜〜
高知市内も路面電車が走っています。その時もうそろそろ坂本龍馬生誕の地が右手に見えますと・・・
えぇ〜と添乗員さんの席を譲ってもらいシャッターチャンスを待つことに・・・でもスピードが・・
上町病院のとなりに木があるところがそうだよ〜〜〜一気にテンション上がった
みえた〜一瞬のできごとでした。上町病院のところまで間口がある大きな屋敷だったという龍馬の生家。裕福な次男坊として育った龍馬。家族の暖かい愛情に包まれて育ったんでしょうね。
そして高知城。関が原の戦いの功績によって、徳川家康から土佐の国を任されることになった山内一豊が築いたお城。龍馬伝では山内容堂が登場していました。今回は車窓からしか見れませんでしたが、次回は高知城の中も見学したいと思います。武市半平太がお殿様がいる高知城を見上げている姿が浮かんできました。
土佐の国は非常に上士下士の関係が厳しかった藩であり、その不満が龍馬のような脱藩士などを生み、日本を大きく変えるきっかけともなりました。土佐の人間を生み出した高知の気風、そしてこの土地から歴史を変える人が多く出たことを考えると感慨深くなります。
そして昼食はサンゴセンターで・・・・桂浜ももう近い場所にあります。
またもや出ました!カツオのたたき〜薄くスライスしたにんにくをのせて頂きます。
昼食も終えとうとうやってきました。桂浜です雨もぽつぽつですがさっきのような雨ではありません。
高鳴る胸を押さえつつ・・・・龍馬像へ向かいます。
じゃ〜ん!とうとう会えたね龍馬像〜すごく大きいねぇ〜〜見上げると空高いところにあるよ〜
ガイドさんの話しによると今年龍馬像の左右に同志だった武市半平太と中岡慎太郎の像を設置するというもの2体の像はプラスチック製のレプリカを500万円かけ製作するというもの。
震災で一時中断してはいたが今また賛否両論あるなか検討されているという。
高知が生んだ3人のヒーローのだが、私個人の意見としてはちょっと考えてしまう。
桂浜といえば聖なる龍馬の桂浜である。武市半平太と中岡慎太郎も嫌いではないが、観光地目的でやってしまうといかにも龍馬が安っぽくなってしまうではないか・・・
龍馬は日本の英雄である。
龍馬命の私にとって龍馬の桂浜である。龍馬を気高いものとして考えていただきたい。
太平洋を望む龍馬。龍馬が生きていたら175歳ですね。歴史的にいってほんの少し前のことなんですよね。
高知名物アイスクリンが目をひきます。
そして桂浜にやって来ました。竜王宮も見えます。
龍馬もこの景色を見たんだね。なにも世界のことがわからない時代にこの海の向こうにどんな国があるんだろう
と思うと今では想像もつかないくらい夢があふれていて、思いをめぐらせていたんだろうね。
現在の幸せと龍馬が生きた頃の幸せの重みを考えると、きっと同じだったと思う。物があり近代的な生活がある今は幸せである。しかしそれとともに苦しむこともあるわけだから。龍馬の生きた時代でも人々はきっと幸せだったと思う。人はひとつの時代にしか生きられないんだ。今生きているこの世を楽しくそして希望もって生きていこう〜龍馬はきっとそんなことを言っているよね・・・また一人芝居してしまったけれど私はホントに幸せものだね
龍馬がみた波もおんなじ・・・・ありがとう龍馬そして桂浜・・・・また高知にくるときは歴史めぐりしま〜す
今回の四国の旅もこれで最後です。高松空港の出発までの時間、空港で讃岐うどんをいただきました。
みんなの感想はどうだった?あまり心に残らない旅???そうね・・・もっとピンポイントでみたかったという意見もありますが、全体的には安いツアーで盛りだくさんだったね・・・はじめての四国だったので四国の主なところには行けた気がします。次行くならやっぱり高知歴史めぐりだね
みなさん2泊3日お疲れ様でした。また明日から普段の生活がんばりましょう
追伸
帰りの羽田空港で私のとなりにモックンを発見!!!きゃ〜かっこいい〜
と騒ぎはしませんでしたけど、まじかに見て、テレビそのまま、凛々しいお姿でした。
最後にプチいいことでした
ブログランキング参加中!
やっと見れたね桂浜の龍馬像にポチっとね
今日も8時から行動開始〜ホテルを出発してまずは足摺岬に向かいます。
足摺岬の入り口に立つ、ジョン万次郎の銅像。毎年1月から2月には椿の花に彩られ、万次郎のアメリカでの功績をたたえています。
万次郎は1827年、土佐清水中浜に漁師の息子として生まれました。万次郎は14歳の時8人の仲間たちと海に出ますが、嵐によって遭難し、孤島に漂着。半年に及ぶ無人島生活を経験した後、ホイットフィールド船長率いるアメリカの捕鯨船「ジョン・ハラウンド号」によって救出されます。しかし、日本は鎖国時代。外国船では日本に帰ることができず、船長は万次郎たちをホノルルへと連れていくことにしました。
船長と共にアメリカへ
その道のりのあいだ、万次郎は誰よりも熱心に働き、「ハラウンド号」の船員たちのあいだでも人気者となりました。そんな万次郎の才能を見抜いた船長は、彼を自分の故郷であるアメリカのマサチューセッツ州フェアーへブンへと連れて帰ることを考えます。それを聞いた万次郎も自身も、船長と共にアメリカに行くことを決意。仲間たちと別れ、まだ見ぬ未知の世界へと向かうのです。
アメリカで学ぶ
こうしてアメリカへと渡った万次郎は、英語、数学、そして航海術を学びました。船長からは、船の名をとった「ジョン・マン」という名で呼ばれ、自分の息子のようにかわいがられます。やがて中学校を卒業した万次郎は、捕鯨船に乗って7つの海を航海。その後カリフォルニアでのゴールドラッシュで資金を集め、ホノルルで待つ仲間を連れて、日本へと帰国することにしたのです。
日本での活躍
帰国した万次郎は士分の身分を与えられ、故郷の中浜を姓に「中浜万次郎」と名乗ることになります。万次郎が帰国した頃の日本は開国を目前に控えており、万次郎がアメリカで学んだ英語や航海術は日本にとって非常に重要な役割を果たしたのです。日米修好通商条約を結ぶ際、万次郎は使節団としてアメリカに渡り、通訳という大きな任務を果たしました。このとき同じ船の中には福沢諭吉がいたと言います。
その後も万次郎はアメリカやヨーロッパへの渡航や捕鯨など、多岐に渡って活躍。しかしその後の1898年、病に倒れその生涯を閉じることとなりました。(高知県サイトより)
この銅像は、彼を息子のようにかわがってくれた船長の故郷・マサチューセッツ州フェアーへブンを向いており、今なお航海のロマンを漂わせています。手には定規とコンパスを持っています。
龍馬とも交友があったようで、龍馬の海の向こうの世界に思う心に大きな影響を与えたことでしょう〜
せっかく楽しみにしていたのに雨も強くなってきました。みんな足摺岬灯台まで行かないの〜
足摺岬灯台までは椿の木がドーム状になっている遊歩道を歩いていきます。
この土地は冬でも気候が温暖で、可憐なアシズリノギクや椿が目を楽しませてくれます。
黒潮と断崖絶壁の地形から椿の木は下から吹き付ける風によってドーム状になったようです。
そんな遊歩道を雨の中歩いて、みごとな雄大な景色に出逢いました。
四国最南端までやって来ました。このビューポイントでも強風のため傘を飛ばされている人がいました。あの灯台まで行ったらどうなるんだろう〜〜すごい時にきたもんだ
下に見える海の色はエメラルド〜晴れていたらもっときれいなんだろうなぁ〜
足摺七不思議の亀呼場。弘法大師にまつわる伝説スポット。弘法大師さまがここで亀を呼ぶと亀が現れたという伝説の場所。今日のような天気は今にも出てきそうな気がしました。
台風のメッカとも言われる足摺ですが、龍馬もここを訪れたでしょうか・・・・この景色はきっと江戸時代でも同じだったんだろうなぁ・・・・
白亜の足摺岬灯台。雨の中こんなところまできたよ〜いい思い出になりました。
そして次は足摺岬よりほど近い四国八十八札所めぐり、第38番札所の金剛福寺。
今日は雨が降っているからそう思うのか、雨が似合うお寺です。
弘法大師さまもいます。この金剛福寺はお遍路さんにとって一番の難所らしいです。37番から38番の経路が一番距離が長く、険しいのだそうです。たくさんのお遍路さんに出会いました。
素敵な雨のお寺ですね・・・雨の金剛福寺もいい思い出になりました。
びしょびしょになりましたが、次に行く桂浜だけは晴れていてほしい。黒潮市場でお買い物〜
かつおのタタキが目にとまります。
試食もありますよ〜〜
濡れた服も乾くころ高知市内に入ってきました。3日目のバスの席は一番前なのでよ〜く話しが聞けました。なんたって高知の話しは聞き逃せない〜〜
高知市内も路面電車が走っています。その時もうそろそろ坂本龍馬生誕の地が右手に見えますと・・・
えぇ〜と添乗員さんの席を譲ってもらいシャッターチャンスを待つことに・・・でもスピードが・・
上町病院のとなりに木があるところがそうだよ〜〜〜一気にテンション上がった
みえた〜一瞬のできごとでした。上町病院のところまで間口がある大きな屋敷だったという龍馬の生家。裕福な次男坊として育った龍馬。家族の暖かい愛情に包まれて育ったんでしょうね。
そして高知城。関が原の戦いの功績によって、徳川家康から土佐の国を任されることになった山内一豊が築いたお城。龍馬伝では山内容堂が登場していました。今回は車窓からしか見れませんでしたが、次回は高知城の中も見学したいと思います。武市半平太がお殿様がいる高知城を見上げている姿が浮かんできました。
土佐の国は非常に上士下士の関係が厳しかった藩であり、その不満が龍馬のような脱藩士などを生み、日本を大きく変えるきっかけともなりました。土佐の人間を生み出した高知の気風、そしてこの土地から歴史を変える人が多く出たことを考えると感慨深くなります。
そして昼食はサンゴセンターで・・・・桂浜ももう近い場所にあります。
またもや出ました!カツオのたたき〜薄くスライスしたにんにくをのせて頂きます。
昼食も終えとうとうやってきました。桂浜です雨もぽつぽつですがさっきのような雨ではありません。
高鳴る胸を押さえつつ・・・・龍馬像へ向かいます。
じゃ〜ん!とうとう会えたね龍馬像〜すごく大きいねぇ〜〜見上げると空高いところにあるよ〜
ガイドさんの話しによると今年龍馬像の左右に同志だった武市半平太と中岡慎太郎の像を設置するというもの2体の像はプラスチック製のレプリカを500万円かけ製作するというもの。
震災で一時中断してはいたが今また賛否両論あるなか検討されているという。
高知が生んだ3人のヒーローのだが、私個人の意見としてはちょっと考えてしまう。
桂浜といえば聖なる龍馬の桂浜である。武市半平太と中岡慎太郎も嫌いではないが、観光地目的でやってしまうといかにも龍馬が安っぽくなってしまうではないか・・・
龍馬は日本の英雄である。
龍馬命の私にとって龍馬の桂浜である。龍馬を気高いものとして考えていただきたい。
太平洋を望む龍馬。龍馬が生きていたら175歳ですね。歴史的にいってほんの少し前のことなんですよね。
高知名物アイスクリンが目をひきます。
そして桂浜にやって来ました。竜王宮も見えます。
龍馬もこの景色を見たんだね。なにも世界のことがわからない時代にこの海の向こうにどんな国があるんだろう
と思うと今では想像もつかないくらい夢があふれていて、思いをめぐらせていたんだろうね。
現在の幸せと龍馬が生きた頃の幸せの重みを考えると、きっと同じだったと思う。物があり近代的な生活がある今は幸せである。しかしそれとともに苦しむこともあるわけだから。龍馬の生きた時代でも人々はきっと幸せだったと思う。人はひとつの時代にしか生きられないんだ。今生きているこの世を楽しくそして希望もって生きていこう〜龍馬はきっとそんなことを言っているよね・・・また一人芝居してしまったけれど私はホントに幸せものだね
龍馬がみた波もおんなじ・・・・ありがとう龍馬そして桂浜・・・・また高知にくるときは歴史めぐりしま〜す
今回の四国の旅もこれで最後です。高松空港の出発までの時間、空港で讃岐うどんをいただきました。
みんなの感想はどうだった?あまり心に残らない旅???そうね・・・もっとピンポイントでみたかったという意見もありますが、全体的には安いツアーで盛りだくさんだったね・・・はじめての四国だったので四国の主なところには行けた気がします。次行くならやっぱり高知歴史めぐりだね
みなさん2泊3日お疲れ様でした。また明日から普段の生活がんばりましょう
追伸
帰りの羽田空港で私のとなりにモックンを発見!!!きゃ〜かっこいい〜
と騒ぎはしませんでしたけど、まじかに見て、テレビそのまま、凛々しいお姿でした。
最後にプチいいことでした
ブログランキング参加中!
やっと見れたね桂浜の龍馬像にポチっとね
私が行ったのは去年の7月で、聡くんが昔住んでいた愛媛県の伊予三島市に行く事と小豆島が目的だったので、四万十川や足摺岬には行けず、写真で見れて良かったです。あと懐かしかったのは、高知で食べたかつおのタタキや、桂浜でアイスクリンを食べた事を思い出しました。
次はどこに行くのか楽しみだね。
私達、最近旅行行ってないなぁ。ちょっと疲れ気味なので、とりあえず箱根の温泉にでも行って来ようかなと思ってる所です。