みもすそ川公園を後にして、路線バスで長府までやって来ました。もうお昼近いわぁ〜どんどん気温も上がってちょっと汗ばんできたバスで20分程、この地域も城下町の街並みがたくさん残っています。
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お目当てはもちろん高杉晋作、奇兵隊挙兵した功山寺!
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下関のマンホールはふぐなんだ〜
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あったね、維新発祥の地の碑。龍馬の土佐もそうだけど、やっぱり長州は幕末熱かった・・・・
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ガイドブック片手に一人で歩いていくとこんなステキな城下町に出逢います。
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静か町に蝉の声だけが響く・・・・
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侍医、菅家の長屋門。毛利家に仕えた医者か・・・名門にすさわしい構えである。
テレビドラマJIN仁友堂もこんな感じだったかねぇ・・・
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こういう説明碑はその時読んでも忘れてしまうので必ず写真に撮ってきます。
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赤い土の塀がみごとです。すばらしい景色。いつまでも残しておきたい日本の風景です。
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古江小路。
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赤い土の塀は近くで見ると、こんなにぼろぼろに砕けています。自然で風化してしまわないかちょっと心配です。
萩焼の土の色も赤いような色が多かったような・・萩の土自体赤いからなのか・・そんな連想してしまった。
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そして長府毛利邸です
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こちらは江戸時代の毛利家のものではないようです。明治になって起工されたと書いてあります。
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それにしても立派な門構え。
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さぁ〜中に入ってみましょう〜
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広々とした和室。
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和室より庭園を望む。扇風機が写ってなければGOODでした。しかしここまで歩いてくる間に汗びっしょり〜
縁側でしゃがんで庭園をみながらひと休憩しました。
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きれいに手入れされていてやはり日本の庭は美しい〜〜
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日本の木造住宅ってよくできています。外は結構な気温なのに、ここに座っているといい風が入ってきて、自然と涼んできます・・・・
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ここで龍馬とお龍の下関での生活をご紹介しておきましょう〜
慶応3年(1867)2月10日、龍馬はお龍りょうを連れて下関に来る。伊藤家の一室「自然堂」を借り受け夫婦の生活の場とした。伊藤助太夫は、当時東の本陣伊藤家の当主で、大年寄りを務めた豪商。慶応元年(1865)に助太夫が下関で龍馬と知り合って以来、龍馬は伊藤邸に宿泊していた。
龍馬のすすめで名を「助太夫」から「九三」に改めたり、龍馬夫妻を歌会に誘うなど二人は親密な関係で、物心両面から龍馬を支援した。当時の伊藤邸は二千坪の大邸宅で、部屋数は二十を越え畳は二百を越えていたという。「自然堂」は小門(脇門)の近くにあった三畳板間の一室。部屋の後方には、蘇鉄や松の繁った庭があり、その庭を隔てて山続きに引接寺への道に出ることが出来たという。
龍馬は慶応3年(1867)2月27日から病気になり、3月下旬まで自然堂でお龍と2人の時間を過ごした。2ヵ月近くもお龍と共に一箇所に滞在したのは、龍馬の生涯でただ一度である。下関の伊藤家は、龍馬にとっても、お龍にとっても忘れ難い思い出の地になったことであろう。
龍馬とお龍は伊藤家で催された春の歌会に参加し、愉楽のひと時を過ごした。
龍馬が詠んで第2位となった歌。
 こころから のどけくもあるか 野辺ハ猶雪げながらの春風ぞ吹く
お龍の歌  薄墨の雲と見る間に筆の山 門司の浦はに そそぐ夕立
伊藤九三   あら磯の おそひかけても 春の濤なみ
この歌会には三吉慎蔵も参加していたらしい。
伊藤家に住んでいた慶応3年(1867)のある日、龍馬は稲荷町で遊び朝帰りをした。
お龍は怒るが、丁度そこに長府藩報国隊士梶山鼎介ていすけが訪問した。龍馬は即興で俚謡を賦して三味線を弾き歌った。さすがのお龍も破顔したという。
龍馬自筆の俚謡は梶山鼎介が貰い、現在は長府博物館にある。
「こい(恋)わ 志はん(思案)の ほかとやら あなと(穴戸・長門)のせとの いなりまち(稲荷町)ねこ(猫)も しゃくし(杓子)も おもしろふ あそぶ くるわ(廓)の はるげしき 
こゝに ひとりの さるまハし たぬきいっぴき ふりすてゝ ぎ利(義理)も なさけも
 なきなみだ(涙)ほかにこゝろハ あるまいと かけてちかいし山の神 うちにいるのに 
こゝろのやみぢ(闇路)さぐりさぐりて いでゝ行」
龍馬は下関で新事業を興し、かねてからの夢を実現しようと計画した。しかし「いろは丸」が沈没し、龍馬の夢は実現できなかった。
慶応3年(1867)9月20日、龍馬は久し振りに伊藤家に泊り、お龍との時を過ごした。後年、助太夫の妻はその時の龍馬の印象を語っている。
「坂本さんは、ふだんは汚い風をしておって、顔付きも恐ろしいような人だったが、この間は顔も綺麗に肥え、大変立派になっていらっしゃった。きっと死に花が咲いたのでしょう。間もなく亡くなられた。」
龍馬は9月22日、下関を出帆して土佐へ向う。これがお龍との永訣となった。
慶応3年(1867)11月15日、龍馬は潜伏していた京都三条河原町の商家近江屋の2階で、幕府見廻組(組頭佐々木只三郎)数名に襲撃され凶刃に倒れた。享年33歳。
12月2日に下関へ訃報が届けられた。お龍は、その悲報を伊藤家で三吉慎蔵から聞いた。
その後、伊藤家の奥座敷で龍馬の法事が営まれた。お龍の回顧談によれば、「・・九日目に三吉さんや助太夫やも寄り合って、あらためて法事を営みましたが、私は泣いては恥ずかしいと堪え堪えしていましたが、とうとう堪え切れなくなって、鋏はさみでもって頭の髪をふっつりと切り取って龍馬の霊前へ供えるやいなや、覚えずワッと泣き伏しました。」とある。
お龍の回顧談によれば、彼女はすでに夢で龍馬に異変が起こったことを察していたという。
「ちょうど11月の16日の夜私は龍馬が、全身朱あけに染んで血刀を提げ、しょんぼりと枕元に立っている夢を見て、ハテ気掛りな、龍馬に怪我でもありはせぬかと独り心配しておりますと、・・・」
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龍馬とお龍の下関の新婚生活もほんの短いものだったんですね。
そう感動しながら次の目的地、本日のクライマックス高杉晋作、奇兵隊挙兵の功山寺にやって来ました。
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高杉晋作回転義挙之所。
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緑多いお寺です。
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功山寺は曹洞宗の寺で、長府毛利家の菩提寺です。ここは周防・長門を支配した戦国大名大内家の最後の当主:大内義長が、毛利元就軍に囲まれて自刀した地でもあります。義長の死により西国の名門大内氏は滅亡し、この地は毛利氏の支配下となりました。
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功山寺の山門が見えてきました。
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立派な山門です。
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蝉の声が寺に響き渡っています。
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高杉晋作挙兵の像
高杉は吉田松陰より「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うなら、いつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」と教えられていた。この教えが高杉に周囲の反対を押し切ってまで無謀な挙兵を決行させたと言われる。
挙兵決行日は実際には説得や準備に手間取り翌日にずれこんでしまったが、当初は12月14日を挙兵時期に定められていたと言われる。これは吉良邸討入と同じであり、高杉の師である吉田松陰が東北遊学の為に危険を冒して脱藩した日である。挙兵に際して自らを死を覚悟して義のために戦った赤穂浪士や初めて清水の舞台から飛び降りた師の覚悟を挙兵する自らになぞらえていたとされる。
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功山寺挙兵(こうざんじきょへい)は、元治元年12月15日(1865年1月12日)に高杉晋作が長州藩俗論派打倒のために功山寺(下関市長府)で起こしたクーデター。回天義挙とも。これに端を発する長州藩内の一連の紛争を元治の内乱という。
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功山寺に集結したのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊のわずか84人だけであった。死を覚悟した高杉は白石正一郎の末弟である大庭伝七に遺書を託して、功山寺の三条実美ら五卿に「是よりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく」と挨拶をし、この挙兵が私利私欲からなるものでないと断った上で、下関新地会所を襲撃し占拠した。そして18名からなる決死隊で三田尻の海軍局に攻め入ると、「丙辰丸」など軍艦3隻を無血にて奪取した。
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この挙兵の報が広まると井上聞多・品川弥二郎・山田顕義・河上彦斎らが呼応し、付近の領民による義勇兵も集結した。勢力を増すと日和見をしていた奇兵隊の山県狂介や藩の諸隊も立ち上がり高杉に協力した。
後に大田・絵堂の戦いで俗論派の藩の正規軍と対峙し、反乱軍がこれを破ったことで、藩論は倒幕に統一された。
吉田松蔭の教えを貫いた若き志士。若くしてこの世を去ってしまう無念を人々は今でも忘れていません。
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そして功山寺の隣に長府博物館があり、その隣に万骨塔がありました。
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有名・無名を問わず御霊を祀っている。
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三吉慎蔵の石を探しました。
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武市半平太、龍馬もあった
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こちらが長府博物館。
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功山寺敷地内に毛利家墓所を発見。
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ひと気のないお墓を歩くのはちょっと怖いけれど、こんな看板が・・・
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三吉慎蔵のお墓です。正面ではなかった
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功山寺も充分見学できて大満足。さぁ蛍の里の川沿いを帰りましょう。
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真夏の気温になってきました。すてきな城下町の街並み。
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ステキなカフェを発見!桂のさと。ここでひと休憩しましょう。
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テラスもいいけど、ちょっと日差しが強すぎだわ。
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外のお庭を見ながらお昼でもいただきましょう。
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涼しくてホッとします。
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急にビールが飲みたくなって、頼んじゃいました。
グラスでくるのかと思ったら瓶でした。持ってきた女の子に私ひとりで飲みきれるかしら・・と言ったら、私も飲んであげましょうか・・・と笑いながら言われました。まぁ・・なんて愉快な子なんでしょう・・・暑い中歩いてきたので、その女の子との会話にほのぼのとしてしまいました
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そして門司の名物「焼きカレー」!今回門司では食べられなかったのでここでいただいちゃいましょう〜
こちらのはチーズ焼きカレー900円
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あっつあっつでとろりとしたチーズがビールに合いますね〜とってもおいしかったで〜す
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ちょっと遅いお昼になってしまいましたが、ビールもいただいてほろ酔いでいい気分〜
さぁ〜バス停まで歩いて帰りましょう〜
それにしてもピカピカのいい天気だね〜
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バスで唐戸まで戻ってきました。旧秋田商会ビル。
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カモンワーフでお土産をゲットして連絡船を待ちます。さぁ〜下関ともお別れ。今回3回目の船です。楽しかった〜またきっと来るね。いい思い出ありがとう〜これから門司港駅より小倉まで電車で行き、小倉から高速バスで北九州空港へ向かいます。
たくさんの思い出をいっぱいつめ19時50分、羽田着。おつかれさまでした
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