5月7日(木)快晴〜
昨日はバイキングでたくさん食べてみんなでお布団並べて寝て楽しかったね。
朝風呂にも入り、名鉄犬山ホテルを9:30にチェックアウトしました。
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大きなティディーベアーのぬいぐるみで記念撮影〜
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ホテルの中庭で少し遊びました。左後方に見えるのが犬山城です。ホテルから遊歩道を通って歩いてもいける距離です。
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きれいな緑のじゅうたんのような芝生。こういう広いところにくると体操(側転)する人1名〜
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そして名鉄犬山ホテルの敷地内?目の前にある「有楽苑」うらくえんと国宝如庵を見学したいと思います。
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「有楽苑」は尾張の国が生んだ大茶匠・織田有楽斎が建てた茶室で、昭和11年に国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構です。京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席3名席の1つです。
織田有楽斎は信長の実弟として天文16年(1547)に生まれました。波瀾に富んだ人生を送った彼は有楽の生涯を写すがごとく茶室如庵は各地を点々としましたが、昭和47年に犬山城下の佳境の地に移築され、「有楽苑」と名付けられました。
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苑内の緑もきれい。庭の手入れも行き届いています。
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しゅろなわで結ばれた石がなぜか置かれています・・・
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関守石(せきもりいし)と呼ばれているもので、ここから先には入らないで欲しいという、
亭主の気持ちを表す標識であり、飛石がいく筋にも分かれている場合は、その石が行先案内の
役目も果たすそうです。
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水琴窟(すいきんくつ)
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たまじゃりにみずをかけると本当にこんこんというかキンキンというかきれいな水の音がします。
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旧正伝院書院
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こちらが如庵。柿葺(こけらぶき)入母屋風の屋根の妻を正面に向けて、左方に入り込んだ土間庇を形成し、大悔筆の「」の額をかかげた外観は、端正なものである。
茶室の内部も、有楽窓と呼ばれる窓、斜めの壁と中柱の構え等随所にも工夫がこらされており、独特の世界を創り出している。
普段は非公開ですが、毎月一回のみ一般に公開されます。
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そして車で5分ほど、犬山城に着きました。
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国宝犬山城は昨日の名古屋城とちがってこじんまりとしているがアプローチの石垣の階段から重みがちがうねぇ・・
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国宝 犬山城通称白帝城という
天守構造:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守
天守の高さ約19m
築城年:天文6年(1537) 築城者織田信康(織田信長の叔父)
指定文化財国宝(天守) 主な城主、織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏
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尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。

江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となりました。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。
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北側にみえる木曽川。
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天守からみた景色。天守の外に出る欄干があまりにひくく落ちてしまいそうな気になります。
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欄干が大人の腰にも満たない・・・汗をかいた体に木曽川の風は気持ちいいねぇ〜
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そして犬山の城下町散策です。そんなに大きな町並みではないですが、城下町の風情が出ています。
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お土産に豆吉のお菓子を買いました。
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そして今回のお目当て、明治村に到着〜今日も名古屋は暑いぜよ〜
園内を走る村営バス〜
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広大な敷地の中をSLも走っているとか・・・
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見えました〜モクモクと煙をあげて走るSL機関車。後で乗りたいね。
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そして最初に出会ったのが明治村の目玉!帝国ホテル〜
この建物は、20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成した帝国ホテルの中央玄関部である。
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皇居を正面にして建てられた帝国ホテルは総面積34,000嵳召梁膩築で、中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分が列ねられ、左右に客室棟が配されていた。全体計画から個々の客室に到るまで、きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品である。

この中央玄関は、建物の特色をよく遺しており、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調し、またその帯が奥へ幾段にも重なって、内部空間の複雑さを予想させる。大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出している。
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レンガ型枠鉄筋コンクリート造とも言える構造であり、複雑な架構に鉄筋コンクリートの造形性が生かされた作品である。移築に当たっては、風化の著しい大谷石に代えてプレキャストコンクリートなどの新建材も使った。
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メインロビー中央には三階までの吹き抜きがある。中央玄関内の全ての空間は、この吹き抜きの廻りに展開し、その個々の空間は、床の高さ、天井の高さがそれぞれに異なっており、大階段、左右の廻り階段を昇る毎に、劇的な視界が開かれる。

建物内外は、彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾されている。特に左右ラウンジ前の大谷石の壁泉、吹き抜きの「光の籠柱」と大谷石の柱、食堂前の「孔雀の羽」と呼ばれる大谷石の大きなブラケットは、見る者を圧倒する。

吹き抜かれた大空間の中を光が上下左右に錯綜し、廻りの彫刻に微妙な陰影を与え、ロビーの雰囲気を盛りあげている。
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今でも古さを感じさせないデザインに感服〜
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すばらしい採光を取り入れたライトならではの窓。
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吹き抜けの向こう側にライトの写真が飾ってある。
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中二階のような屋根が低いカフェ。こんなデザイン明治には画期的だったろうな。。。
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日露戦争勝利のポーツマス条約に交わされたテーブルがこんなところに・・・
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明治村はホント1日歩いても見切れないほどたくさんの重要文化建築物があります。
この白亜の教会堂は、近世初頭日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890)かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂で、フランス人神父の監督の下に、本国から取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものである。
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基本構造はレンガ造と木造との併用で、外周の壁をレンガ造で築き、丸い高窓の並ぶクリアストーリーの壁を木骨竹小舞の大壁構造にし、内部の柱や小屋組等を木造で組み上げており、内外の壁は漆喰を塗って仕上げている。正面入口の上には直径3.6mを超える大きな薔薇窓が付けられ、切妻の頂点には十字架が掲げられている。
壁の出隅にはそれぞれ二方向のバットレスが付けられ、その上にピナクルが屹立する。当初は壁や窓のモールディング等はゴシック様式の異形レンガの積み込みにより作られていたが、移築に際し、建物強化のために躯体を鉄筋コンクリートに変更するのに合わせて、モールディングの部分もプレキャストコンクリートに変更するのに合わせて、モールディングの部分もプレキャストコンクリートに置き換えている。
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身廊、側廊からなる三廊式で、前に玄関を張り出し、内陣の横には聖具室を配置している。大アーケード、トリフォリウム、丸窓のあるクリアストーリーの三層からなる典型的なゴシック様式で、身廊上部には交差リブヴォールトが架けられ、その頂点には木彫のボスが飾られている。
身廊の両側に並ぶ柱は、軒まで達する太い角柱に幾本もの細い丸柱を付けた束ね柱になっているが、この柱やリブ等、天井板を除く全ての木造部分は欅で作られ、落着いた光沢を放っている。 外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、色ガラスに模様を描いたもので、外に透明ガラスを重ねて保護されている。
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さてここでお昼にしましょうか・・
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浪漫亭〜明治のにおいがしてきます。
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オムライス〜トマトのソースがおいしかったです。Yちゃんのデミグラスソースもおいしかったそうです。
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お昼食べてもう一回り〜京都市電に乗りました〜
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そしてよくテレビや映画の撮影で使われる町並み〜ハイカラ写真館で記念撮影と思ったのですがNちゃんは100センチ満たないので出来ないとのことでした。残念・・
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西郷従道旧邸
木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代(1877〜1886)のはじめ西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の自邸内に建てたものである。西郷從道は、明治初年から度々海外に視察に出掛け、国内では陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任、維新政府の中枢に居た人物で、在日外交官との接触も多かった。そのため「西郷山」と呼ばれる程の広い敷地内に、和風の本館と少し隔てて本格的な洋館を接客の場として設けたのである。
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在日中のフランス人建築家レスカスの設計と考えられ、半円形に張り出されたベランダ、上下階の手摺等デザインもさることながら、耐震性を高めるための工夫がこらされている。屋根に重い瓦を使わず、軽い銅板を葺いたり、壁の下の方にレンガをおもり代わりに埋め込み、建物の浮き上がりを防いでいること等にその現れをみることができる。
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レスカスは明治5年(1872)には生野鉱山の建設に従事、同6年には皇居の地盤調査にも参加している。また、ドイツ公使館や三菱郵船会社の建物を設計し、明治20年頃まで建築事務所を開業していたが、その傍ら、日本建築の耐震性についての論文をまとめ、自国の学会誌に寄せている。
二階各室には丈の高い窓が開けられている。フランス窓と呼ばれるもので、内開きのガラス戸に加えて外開きの鎧戸が備えられ、窓台が低いため、間に鉄製の手摺が付けられている。
窓上のカーテンボックス、手摺、扉金具、天井に張られた押し出し模様の鉄板、そして流れるような曲線の廻り階段等、内部を飾る部品は殆ど舶来品と思われる。特にこの廻り階段は、姿が美しいだけでなく、昇り降りが大変楽な優れたものである。
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そのほかたくさんの重要文化財をみました。
全部は見れませんでしたが時間があったらまた来たいなと思います。

ちなみにこのようなものがあります。

重要文化財(建造物)

・旧西郷従道住宅(旧所在 東京都目黒区上目黒)・旧日本聖公会京都聖約翰教会堂 附:建築関係資料
・旧品川燈台・旧菅島燈台付属官舎2棟(主屋、倉庫)
・旧札幌電話交換局舎・旧呉服座附:幣串1本
・旧三重県庁舎 附:旧小屋束、建築関係図面11枚・旧山梨県東山梨郡役所 附:棟札
・旧伊勢郵便局舎(宇治山田郵便局舎)※建物の所有者は日本郵政株式会社
・旧東松家住宅(旧所在 愛知県・名古屋市中村区舟入町)附:棟札・重要文化財(歴史資料)
・リング精紡機(1893年、英国製)・平削盤(明治12年、工部省赤羽工作分局製)所有者は岩手県
・愛知県指定有形文化財[編集]・名古屋衛戍病院・国の登録有形文化財[編集]
・第八高等学校正門・大井牛肉店・三重県尋常師範学校・蔵持小学校
・近衛局本部付属舎(皇宮警察坂下護衛署別館)・赤坂離宮正門哨舎・学習院長官舎
・森鴎外・夏目漱石住宅・東京盲学校車寄・二重橋飾電燈
・鉄道局新橋工場・千早赤阪小学校講堂・第四高等学校物理化学教室
・第四高等学校武術道場無声堂主屋・第四高等学校武術道場無声堂弓道場・清水医院・京都中井酒造
・安田銀行会津支店・京都七條巡査派出所・北里研究所本館・幸田露伴住宅蝸牛庵
・西園寺公望別邸坐漁荘主屋・西園寺公望別邸坐漁荘付属屋・西園寺公望別邸坐漁荘門・供待及び塀
・茶室亦楽庵・長崎居留地二十五番館本館・長崎居留地二十五番館別館・神戸山手西洋人住居主屋
神戸山手西洋人住居付属屋
・宗教大学車寄・芝川家住宅主屋・日本赤十字社中央病院病棟・日本赤十字社中央病院付属便所
・歩兵第六聯隊兵舎・シアトル日系福音教会・ブラジル移民住宅・ハワイ移民集会所・六郷川鉄橋・
・鉄道寮新橋工場・工部省品川硝子製造所・本郷喜之床・小泉八雲避暑の家半田東湯
・聖ザビエル天主堂・金沢監獄正門・金沢監獄中央看守所・金沢監獄監房・小那沙美島燈台・天童眼鏡橋
・隅田川新大橋・大明寺聖パウロ教会堂・川崎銀行本店・皇居正門石橋飾電燈・内閣文庫
・東京駅警備巡査派出所・前橋監獄雑居房・宮津裁判所法廷・菊の世酒蔵・高田小熊写真館
・名鉄岩倉変電所・帝国ホテル中央玄関

楽しかった名古屋の旅でした。Nちゃんまた大きくなったら来ようね〜
バーナー

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