5月13日(水)夏を感じる快晴の天気
気になることがあって今日は靖国神社参拝と隣の遊就館(大東亜戦争終戦七十年特別展示)をみようと九段までやって来ました。
大きな鳥居の先にある大村益次郎の銅像。このまっすぐな靖国神社までのアプローチはなぜか身が引き締まる。
気になることとは・・・
先日仕事である中国人のお客様との話しがきっかけである。
その方はもうずいぶん長いこと日本に定住しているという。(20年以上)そして日本に帰化している。要するにもう日本人ということ・・・日本語に不自由することなくなんとも早口で日本語を話していました。
そこで私は日本に長いこと暮らして日本のイメージと日本人についてどういう感想をもっているか聞いてみました。その中国人は日本はすごく住みやすく清潔でいいところだと言っていました。そして日本人についても勤勉でまじめで礼儀正しく本当にいい人が多いと言っていました。その方は日本で仕事をしてたくさんの日本人顧客がいてこそ自分の生活が成り立っているのだからもちろんそう思うだろうなぁ・・とは思っていました。
日本人に帰化するくらいだから本当に日本のことを良く知ってそうしたんだろうと・・わたしの勝手な思い込みはそこで終わってしまった・・・
そして私はこう続けた・・・
日本と中国、アジアでは一番近いお隣の国であるが、なぜ中国人は日本にそんなにまでの敵対心をもっているのでしょうか・・・と(こんなことは本当は話すべきではないことはわかっています。しかしこういう日本人になった方だったら少しはちがう考えをもっているのではないか・・)しかし甘かった・・
そして悪いことにその人の出身は吉林省(昔の満州国だったところ)でした。そしてその人は延々と語り始めました。現在も父母は吉林省に住んでいて過去の日本が中国に対して犯した悲惨な出来事(満州国侵略と南京大虐殺など)の恨みを小さい頃から聞かされてきたというのです。30万人以上の中国人が日本兵によって虐殺されたという恨みは中国人の血が許さないというのでしょうか。だから現在安倍首相がとっている中国に屈しない態度がいささか気に入らないようだった。
さざれ石(日本国歌の一節)
話は戻って・・・
私はその話しを聞いているうちに自分の中であなた方は中国教育によってそのような考えを植えつけられていまっている・・日本人には日本人の歴史認識があるのでということを・・(南京大虐殺など本当はなかった。最も中国を侵略したことは意味の取り違えだ)
しかしそれをその人にいくら言ってもきっと反発し怒り狂うだろうと。そう・・日中関係の討論会などをみてもいつもそうだ。中国は中国の固定観念しか聞く耳をもたないのである。私は黙った。
今までも靖国問題、従軍慰安婦問題、尖閣諸島問題などいろいろな情報は調べてきたつもりで自分なりの考えは持っている。私は安倍首相が靖国神社に参拝するのは賛成だったし、先の戦争で日本のために命を落とした方に手を合わせるのは日本人として当たり前のことであると。そしてどうして日本が原爆まで落とされて敗戦し極東軍事裁判(東京裁判)であのような裁きを受けなくてはならなかったことに疑問を感じているひとりである。
靖国神社の成り立ちについて調べてみた。
靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官ペリー来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。1877年(明治10年)の西南戦争後は、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。
「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方、政教分離や、第二次世界大戦前の日本について侵略だったか自衛だったかといった歴史認識、日本の支配及び日本軍が送られ犠牲者も出た近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を問題視する意見がある。終戦の日である8月15日の参拝は戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなる。
日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の心の拠り所としてのシンボルの一つであった。
他方、戦争被害を受けたという意見の中国や韓国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に批判反発している もっとも、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日の朝日新聞が『靖国問題』を報道すると、一週間後の8月14日、中国政府が史上初めて公式に靖国神社の参拝への非難を表明した。
終戦から現在までの首相の靖国神社参拝回数
第43代 東久邇宮稔彦王 1回
第44代 幣原喜重郎 2回
第45代第48-51代 吉田茂 5回
第56-57代 岸信介 2回
第58-60代 池田勇人 5回
第61-63代 佐藤栄作 11回
第64-65代 田中角栄 5回
第66代 三木武夫 3回
第67代 福田赳夫 4回
第68-69代 大平正芳 3回
第70代 鈴木善幸 9回
第71-73代 中曽根康弘 10回 ← 1985年から中国、韓国が非難しはじめた。
第82-83代 橋本龍太郎 1回
第87-89代 小泉純一郎 6回
第90代第96代 安倍晋三 1回
中国韓国が文句を言い始めたのは1985年頃から、中曽根さんが行き始めた頃からである。
昭和53年(1978年)に、所謂A級戦犯が靖国神社に合祀された後も、総理大臣は靖国神社を参拝し続けた。
昭和60年(1985年)頃まで、日本の首相は年に3〜4回ずつ靖国神社を参拝していたが、中国も韓国も全く問題視しなかった。
その合祀以降も、大平正芳首相や鈴木善幸首相などが靖国神社を参拝したが、中国も韓国も文句など言わなかった。
朝日新聞がなんらかの刺激をあたえたことは現在確かな事実となっている。そして中国自体日本を敵として扱い強固な姿勢をしめすことは国家にとってより団結を生む構造となっていることは政治評論家の間でも言われていることである。そして外交上の国益の政治的カードとなっていることも中国の巧みな政治戦術なのだ。
過去に中国に対して先の戦争で侵した罪を謝罪してきた日本。何度謝ればいいんですか。
戦争の終結として1972年日中共同声明、1978年の日中平和友好条約等で戦争に関する清算は済んでいるのではないか・・・いつまでも戦争責任として企業への賠償責任訴訟などしてほしくないです。
そして未来永劫、平和な世界を築いていくのはアジアの大国日本と中国ではないでしょうか・・・
現在また大きな国際問題として南沙諸島を埋め立て実効支配している中国。なんとも国際法も関係ないのでしょうか・・・
まだ言い尽くせないない中国への不満は数知れず・・・そして日本人の戦争自虐観もこの中国韓国の影響が多く残っていることも悲しい確かな事実なのです。
遊就館で短編映画「私たちは忘れない」(50分)を見てきました。たくさんの命が日本を守りたいと捧げたことを本当に私たちは忘れてはいけないのです。日本人の誇りを捨ててはいけない。自虐史観はもう捨てよう・・
人には思想があります。生きた環境、教育によって考えは変わっていきます。それを押し付けるつもりはありませんが世界中でたくさんの民族、人種が存在する中で最低限のお互いの尊重が平和を導いてくれるはずです。
怒り、憎しみからは何も生まれない・・・そんなことまた新たにを考えさせてくれた靖国、遊就館でした。
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気になることがあって今日は靖国神社参拝と隣の遊就館(大東亜戦争終戦七十年特別展示)をみようと九段までやって来ました。
大きな鳥居の先にある大村益次郎の銅像。このまっすぐな靖国神社までのアプローチはなぜか身が引き締まる。
気になることとは・・・
先日仕事である中国人のお客様との話しがきっかけである。
その方はもうずいぶん長いこと日本に定住しているという。(20年以上)そして日本に帰化している。要するにもう日本人ということ・・・日本語に不自由することなくなんとも早口で日本語を話していました。
そこで私は日本に長いこと暮らして日本のイメージと日本人についてどういう感想をもっているか聞いてみました。その中国人は日本はすごく住みやすく清潔でいいところだと言っていました。そして日本人についても勤勉でまじめで礼儀正しく本当にいい人が多いと言っていました。その方は日本で仕事をしてたくさんの日本人顧客がいてこそ自分の生活が成り立っているのだからもちろんそう思うだろうなぁ・・とは思っていました。
日本人に帰化するくらいだから本当に日本のことを良く知ってそうしたんだろうと・・わたしの勝手な思い込みはそこで終わってしまった・・・
そして私はこう続けた・・・
日本と中国、アジアでは一番近いお隣の国であるが、なぜ中国人は日本にそんなにまでの敵対心をもっているのでしょうか・・・と(こんなことは本当は話すべきではないことはわかっています。しかしこういう日本人になった方だったら少しはちがう考えをもっているのではないか・・)しかし甘かった・・
そして悪いことにその人の出身は吉林省(昔の満州国だったところ)でした。そしてその人は延々と語り始めました。現在も父母は吉林省に住んでいて過去の日本が中国に対して犯した悲惨な出来事(満州国侵略と南京大虐殺など)の恨みを小さい頃から聞かされてきたというのです。30万人以上の中国人が日本兵によって虐殺されたという恨みは中国人の血が許さないというのでしょうか。だから現在安倍首相がとっている中国に屈しない態度がいささか気に入らないようだった。
さざれ石(日本国歌の一節)
話は戻って・・・
私はその話しを聞いているうちに自分の中であなた方は中国教育によってそのような考えを植えつけられていまっている・・日本人には日本人の歴史認識があるのでということを・・(南京大虐殺など本当はなかった。最も中国を侵略したことは意味の取り違えだ)
しかしそれをその人にいくら言ってもきっと反発し怒り狂うだろうと。そう・・日中関係の討論会などをみてもいつもそうだ。中国は中国の固定観念しか聞く耳をもたないのである。私は黙った。
今までも靖国問題、従軍慰安婦問題、尖閣諸島問題などいろいろな情報は調べてきたつもりで自分なりの考えは持っている。私は安倍首相が靖国神社に参拝するのは賛成だったし、先の戦争で日本のために命を落とした方に手を合わせるのは日本人として当たり前のことであると。そしてどうして日本が原爆まで落とされて敗戦し極東軍事裁判(東京裁判)であのような裁きを受けなくてはならなかったことに疑問を感じているひとりである。
靖国神社の成り立ちについて調べてみた。
靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官ペリー来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。1877年(明治10年)の西南戦争後は、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。
「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方、政教分離や、第二次世界大戦前の日本について侵略だったか自衛だったかといった歴史認識、日本の支配及び日本軍が送られ犠牲者も出た近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を問題視する意見がある。終戦の日である8月15日の参拝は戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなる。
日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の心の拠り所としてのシンボルの一つであった。
他方、戦争被害を受けたという意見の中国や韓国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に批判反発している もっとも、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日の朝日新聞が『靖国問題』を報道すると、一週間後の8月14日、中国政府が史上初めて公式に靖国神社の参拝への非難を表明した。
終戦から現在までの首相の靖国神社参拝回数
第43代 東久邇宮稔彦王 1回
第44代 幣原喜重郎 2回
第45代第48-51代 吉田茂 5回
第56-57代 岸信介 2回
第58-60代 池田勇人 5回
第61-63代 佐藤栄作 11回
第64-65代 田中角栄 5回
第66代 三木武夫 3回
第67代 福田赳夫 4回
第68-69代 大平正芳 3回
第70代 鈴木善幸 9回
第71-73代 中曽根康弘 10回 ← 1985年から中国、韓国が非難しはじめた。
第82-83代 橋本龍太郎 1回
第87-89代 小泉純一郎 6回
第90代第96代 安倍晋三 1回
中国韓国が文句を言い始めたのは1985年頃から、中曽根さんが行き始めた頃からである。
昭和53年(1978年)に、所謂A級戦犯が靖国神社に合祀された後も、総理大臣は靖国神社を参拝し続けた。
昭和60年(1985年)頃まで、日本の首相は年に3〜4回ずつ靖国神社を参拝していたが、中国も韓国も全く問題視しなかった。
その合祀以降も、大平正芳首相や鈴木善幸首相などが靖国神社を参拝したが、中国も韓国も文句など言わなかった。
朝日新聞がなんらかの刺激をあたえたことは現在確かな事実となっている。そして中国自体日本を敵として扱い強固な姿勢をしめすことは国家にとってより団結を生む構造となっていることは政治評論家の間でも言われていることである。そして外交上の国益の政治的カードとなっていることも中国の巧みな政治戦術なのだ。
過去に中国に対して先の戦争で侵した罪を謝罪してきた日本。何度謝ればいいんですか。
戦争の終結として1972年日中共同声明、1978年の日中平和友好条約等で戦争に関する清算は済んでいるのではないか・・・いつまでも戦争責任として企業への賠償責任訴訟などしてほしくないです。
そして未来永劫、平和な世界を築いていくのはアジアの大国日本と中国ではないでしょうか・・・
現在また大きな国際問題として南沙諸島を埋め立て実効支配している中国。なんとも国際法も関係ないのでしょうか・・・
まだ言い尽くせないない中国への不満は数知れず・・・そして日本人の戦争自虐観もこの中国韓国の影響が多く残っていることも悲しい確かな事実なのです。
遊就館で短編映画「私たちは忘れない」(50分)を見てきました。たくさんの命が日本を守りたいと捧げたことを本当に私たちは忘れてはいけないのです。日本人の誇りを捨ててはいけない。自虐史観はもう捨てよう・・
人には思想があります。生きた環境、教育によって考えは変わっていきます。それを押し付けるつもりはありませんが世界中でたくさんの民族、人種が存在する中で最低限のお互いの尊重が平和を導いてくれるはずです。
怒り、憎しみからは何も生まれない・・・そんなことまた新たにを考えさせてくれた靖国、遊就館でした。
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