10月2日(金)今日はインドに3日しかない国民の祝日であります。
ガンジーさんの誕生日です。なので土日を含めると3連休のパパさんにインドの世界遺産を案内してもらいます。今日はデリー市内のYちゃん宅から車で15分ほどにあるフマユーン廟に行きます。
休日とあって比較的町は静か・・・まずはデリーでは超有名な紅茶のお店に行きました。
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やはり外国人観光客がお土産用として爆買いしていました。ダージリンからチャイなどたくさんの種類があります。私も買ってきましたが今まさにティマサラにはまってます。とってもやみつきにまりますよ。
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そしてフマユーン廟へ向かいますが道路はあいかわらずオートリクシャーが元気よく走っています。
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王妃が亡き夫のために築いた墓廟がフマユーン廟だ。そしてまた、フマユーン廟はペルシア美術とインド美術を融合させて生まれたムガル美術のさきがけであり、約100年後に建築されたタージマハルのモデルとなった。王妃ハージ・ベグムがムガル皇帝フマユーンに贈った「エデンの園」
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土が赤茶色をしています。
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霊廟周囲の庭園は、ペルシア的なチャハルバーグ(四分庭園)となっており、10ヘクタール以上の広大な敷地を有する。四分庭園とは、四面同等の意匠をもち、4つの区画に分けられた正方形の庭園であり、庭園には水路や園路が格子状に走向して中形ないし小形の正方形をつくり、それぞれの交点には小空間や露壇、池泉などが設けられている。
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フマーユーン廟の庭園は、インド亜大陸におけるチャハルバーグ形式の庭園としては最古のものであり、ペルシアの伝統が色濃く反映された、従来のヒンドゥー建築やインド・イスラーム建築には存在しなかった形式の庭園である。
優美な庭園はまた、しばしば「楽園の思想」の具現化であると評される。すなわち、中近東生まれの宗教であるイスラームにとって、塀によって囲まれ、日陰と水がふんだんにある庭とは、まさに「天上の楽園」を地上に模写した人工物だったのである。
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霊廟は上下の二層構造をとっており、東西南北の四面それぞれは同じ立面(ファサード)をもっている。
霊廟の中心には玄室が設けられており、その外側にアーケードをめぐらせた低平な下層(基壇)は、一辺およそ95メートルの矩形をなして高さは約7メートルに達している。その上方に設けられた上層建築は一辺およそ48メートルであり、中央墓室を4つの正方形の墓室が対角上に取り巻くような形状に配置されており、各面に対し、アーチ状の天井をもつイーワーンをひらいている。それぞれのファサード(正面)は、赤色の砂岩に白色の大理石を組み合わせて幾何学的な文様が華やかにデザインされている。ここではまた、象嵌の手法も採り入れられている。
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霊廟の中央広間には、屋根と天井を切りはなした中央アジア的な二重殻のドームを有する。外殻ドームは総白大理石で、その最頂点までの高さはおよそ38メートルにおよんでいる。ドーム屋根の周囲には柱で支えられた傘のような形状のチャトリ(小塔)が立ち並んでインド的印象を受けるが、これはペルシア風のアーチやドームを主体にした建築に、柱や梁を多用したヒンドゥー的装飾が各所にほどこされているためである。
外殻ドームの12メートル下には内部をおおうドームがあり、3連アーチ窓が2段に並んで玄室の天井としては好適な高さとなっている。この半円ドームは、周囲の墓室や四方のイーワーンを結びつける重要な空間となっている。
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墓廟には、すべて合わせると計150人の死者が埋葬されている。フマーユーン、王妃ベーガム、王子ダーラー・シコー、そして、重きをなしたムガル朝の宮廷人たちの遺体である。玄室となる建物の中央にはフユマーンの墓として白大理石の石棺が置かれるが、これはいわば仮の墓、すなわち模棺(セノターフ)であり、実際のフマーユーンの遺体を納めた棺はこの直下に安置されている。このような形式は、中央アジアの葬送に由来している。宮廷人たちの棺については、資料を欠いており、それぞれの石棺がどのように配置されたか、その詳細はよくわかっていない。
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建築史的には、同時代のペルシア建築と共通する要素が多いといわれているが、フマーユーン廟で採用された上層建築の形式は過去の廟建築にはみられず、むしろ宮殿パビリオンの系譜に連なる形式に属している。この形式は、アーグラ近郊シカンドラに所在するアクバル廟や第4代皇帝ジャハーンギールの墓廟であるジャハーンギール廟には採用されなかったものの、第5代皇帝シャー・ジャハーンが第一王妃ムムターズ・マハルのためにアーグラに建てた墓廟「タージ・マハル」では再び採用されることとなった。
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フマーユーン廟は、奇しくもムガル帝国終焉の舞台となった。1857年にはじまる反英蜂起、いわゆるインド大反乱の際、シパーヒーたちに擁立されたムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー2世は、3人の王子とともにこの墓廟に避難した。しかし、皇帝はウィリアム・ハドソンの率いるイギリス軍によって捕縛され、裁判にかけられて帝位を剥奪された。翌1858年、バハードゥル・シャー2世は、年金をあてがわれた上で英領ビルマの首府ラングーン(現ヤンゴン)に追放された。
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タージマハルの見本ともなった皇帝の霊廟 世界遺産登録は1993年 建造時期は1570年頃。
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ムガル建築の代表作。
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幾何学模様がすてきです。
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天井はこのような模様です。
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ガイドさんがいたらもっとよくわかっただろうが・・・そこは残念だった。
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横からみた図もステキですね。
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アブラサラーイ。今は朽ちているがフマユーン廟を造る職人たちが暮らしていた場所だった説もある。
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太陽があたり赤い土壁が鮮やかだ。フマユーン廟は夕日が赤砂岩に反射する時間帯が一番きれいらしい。
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午前中でも十分きれいだけどね。
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そしてデリー市内の韓国料理屋さんで昼食をとりました。ガンジさんーの誕生日ということでアルコールは一切販売してはいけないということだったのですが、店員さんが間違えて持ってきてしまい飲んでしまいました。
おいしい韓国料理をいただきました。
そして一度家にもどり、Nちゃんがお昼寝している間にパパにお留守番してもらい、私とYちゃんとふたりでインドスパ アーユルヴェーダを体験しました。高級ホテル ル・メリディンの極上なスパを堪能しました。
アーユルヴェーダはいわゆる温めたオイルを全身のツボにリズミカルに流して心身の浄化を図るというもの。
60分たっぷり全身マッサージ、頭皮にいたるまで癒されました。最後のスチームもしっとり大変満足しました。
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