10月3日(土)
インドに来て4日目。これといったインド料理を食べていないのがよいのかお腹を壊すことなく体調もかなり良好。
といっても生水は飲んでないし、うがい、歯磨きするのも浄水器のお水を浸かっている。
そして料理は必ず火の通ったものをいただく。これはインドへ来たら鉄則です。
さぁ〜今日はインドといえば世界遺産 タージマハルへ行きます。
デリーから約200キロ下りアーグラーまで行く。。車で3〜4時間、今日は高速道路を使って移動します。
途中ドライブイン休憩〜
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閑散としているがなんら日本と変わらない。
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入り口で音楽を演奏し踊っている子供がいます。
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インドの民族楽器か・・女の子もかわいらしい。これもやはりお金をいただくためにせっせと働いているのです。
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そしてさらに進むとかなりローカルな町並みになってきました。
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アーグラーはガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置する都市で、古代より交通の要所として発展した。周辺地域における政治、経済、文化の中心。世界遺産にも定められているタージ・マハルなど多くの観光名所があり、多くの観光客が訪れる。近隣の都市としては、約180キロ北にデリー、220キロ西にジャイプル、300キロ東にラクナウが位置している。
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すごい家と商店が続いている。
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これは個人旅行するのはかなりハードな気がする。
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なんといってもアーグラーは治安がものすごく悪いらしい。日本人を狙って悪質な詐欺やスリが多発しているようです。
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バイクの3.4人のりは当たり前。ところかまわず割り込んできます。
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オートリクシャーに6人くらい乗ってるよ。バイクなのに大丈夫なのかね・・・
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規則があるのかないのか警察に捕まったりはしないようです。
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もうすぐタージマハルです。土ほこりがすごくなってきました。
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わぁ〜道路にらくだが走ってる〜
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そしてタージマハルも見えるほど近いITCムガルというホテルでランチブッフェをいただくことに。
外国人観光客であふれていました。ここは本場のインド料理をたくさんそろえてあり、かなりボリュームたっぷり食べてしまいました。
写真はありません。
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そしてさぁ〜念願のタージマハルへ到着。駐車場からタージマハル入り口まで歩いたら15分はかかるということで専用バスに乗り込むことに。しかしそのバスがかなり怪しい・・鈴なり状態に押し込まれて乗っていくのだからここはスリには十分気をつけなければいけません。私たち4人も乗るとき押されて離れ離れに・・・Nちゃんはパパに抱っこしてもらってどうにか席に座ったが私は一番後ろまで押されてしまった。周りは怪しいインド人ばかり。ショルダーバッグを前に抱え必死にこらえた・・・やぁ・・・怖かったよ〜
そしてチケット売り場へ・・
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そして入場には金属探知機のゲートをくぐってチェックを受けます。
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やっと門まできました。この先がタージマハルだよ〜
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昨日みたフマユーン廟にそっくりだ。
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そして門を抜けるとご対面〜
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真っ白だ〜大理石が輝いているよう〜
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タージ・マハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地にある。南端の約1/4部分は前庭があり、その北端にある大楼門を挟み広がる庭園は一辺296mの正方形であり、水路と遊歩道によって東西南北それぞれに2等分され、さらにそれぞれが4つの正方形で区分されている。その北には敷地の約1/4を占める基壇の上に、廟堂を中心に西側にモスク、東側に集会場がある。
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このタージマハルは、強大な力を持った時の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、自身が愛したお妃の為に巨額の建設費用をつぎ込んで建設されました。皇帝が無駄遣いをしすぎたために息子に幽閉(ゆうへい)された、という残念な逸話も残るほどの霊廟です。
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さすが世界遺産庭の手入れが行き届いています。
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すごいひとの多さにはびっくりします。
世界でもっとも美しい霊廟とよばれるタージ・マハルは、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、若くして亡くなった最愛の王妃ムムターズ・マハルのために建てた白大理石造りの巨大な建造物です。
シャー・ジャハーンは、砂漠の民イスラムがインドに侵攻してムガル帝国を樹立してから100年、帝国の絶頂期に皇帝となった人物でした。皇帝は王妃ムムターズ・マハルを限りなく愛し、戦場にさえ連れて行きました。王妃は14人の子どもを生みますが、36歳の若さで亡くなってしまいます。皇帝は深く悲しみ、世界各地から最高の職人と材料を集め、イスラム様式の壮大な白亜の霊廟を築きました。皇帝はヤムナー川の対岸に自らの霊廟を黒大理石で造り、タージ・マハルと橋でつなぐ計画であったと言います。しかし皇帝は三男によってアーグラ城に幽閉され、その夢は果たせませんでした。幽閉された城の塔からタージ・マハルを眺めることが、シャー・ジャハーン晩年の唯一の慰めであったと言います。シャー・ジャハーンは今、最愛の王妃ムムターズ・マハルとともに、タージ・マハルに眠っています。
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設計にはイスラーム世界から広く名声を博した建築家や工芸家らが集められた。20世紀にインド政府考古学調査局長のB・L・ダーマは研究書『ザ・タージ』にて設計者をイスラームに帰依したインド人ムハンマド・イーサー・エフェンディーと述べた。しかし、これも当時のヒンドゥー至上主義の影響を受けたもので、事実上設計者名は不明なままである。シャー・ジャハーンの主任建築家だったウスタード・アフマド・ラホーリーの墓碑には彼がタージ・マハルの設計者だったと記されているが、これも多くの工匠らが持ち寄った設計を纏める役割に過ぎなかったと考えられる。
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17年とも22年と言われる建設期間中には、常に2万人もの人々が工事に携わった。タージ・マハルが建つヤムナー川の岸は傾斜しており、庭園を囲む回廊の外側には厚い石垣が積み上げられ、土地を水平に造成している。
建材はインド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方のジャイプル産という。赤砂石はファテープル・シークリーの石切り場から運ばれた。翡翠や水晶は遠く中国から、トルコ石はチベットから、サファイアや瑠璃はスリランカから、カンラン石はエジプトから、珊瑚や真珠貝はアラビアから、ダイヤモンドはブンデルカンドから、アメジストや瑪瑙はペルシャから集められた
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ヒンドゥー教徒は墓を持たず、遺体は火葬され遺骨や灰は川に流される。霊魂は永遠と考えるイスラーム教徒が持つ墓は簡素なものに過ぎない。ムガル王朝の皇帝は大きな霊廟を備えたが、これは専制君主の権勢を示す目的があった。権力を握っていたわけでもないただの王妃に対し壮大な墓廟が建設された例は、他にはほとんど無い。
タージ・マハル着工の頃、シャー・ジャハーンはヒンドゥー教を抑圧する令を発するなど、イスラーム教国家建設の取り掛かっていた。その中でタージ・マハルはイスラーム教徒の精神的中心として構想された。聖者信仰はイスラームにもヒンドゥーにも見られ、その墓所は霊力が宿るという考えはムガル王朝期のインドでは強かった。ムムターズ・マハルを聖者とみなす根底には、イスラーム社会が女性に夫への愛と子を生すことを求め、産褥による死は男性が聖戦で死す事と同義とみなす母性信仰があり、生涯で14人の子を産み36歳で死んだ彼女は殉教した聖者になるに充分だったと言える
この意義に叶うため、タージ・マハルは巡礼者を受け入れる施設を持たされた。訪問中にメッカへ礼拝するためのモスク、食事や宿泊のための集会所、巡礼者の車場置き場、そして外部の市場もこの機能を補助した。タージ・マハルが完成した時に、その美しさにシャー・ジャハーンが詠んだ詩には、ここが罪を負う者が悔恨し、罪行から自由になり、許され清められる典雅な高殿であり、神の光とともにあると述べられている
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並んでいる列はインド人。外国人は優先的に入れる。
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野生の猿がこんなところにも・・・
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まぶしいばかりの白亜の輝き。
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太陽が照り付けてすごく暑い!
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大理石をいためないように靴カバーを履いています。Nちゃんはトウシューズと勘違いして舞台のような隙間で踊りだしていました。
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こんなシューズカバーです。
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偉大なるタージマハルよ。
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建造時期 1632〜53年頃。世界遺産登録年 1983年。
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踊るNちゃん。
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彫刻の影がきれい〜
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念願のタージマハルを見ることができて大満足です!
暑い中みんなでタージマハル行ったことは私の心の中に残っていくでしょう。
Dちゃん、Yちゃん連れてきてくれて本当にありがとう〜
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バーナー

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