昨晩の錦湯のお湯の熱さにはびっくりでしたけど、ホテルのベッドの硬さも心地よくぐっすり眠れました。
今日も快晴の天気〜また昨日のような照り返すような暑い日になるのでしょうか・・・
朝8:00ホテルをチェックアウト早々の行動開始です。
烏丸通りは京都駅から南北に延びる通りで替え歌があります。
<東西の通り名の唄>(丸太町通り〜九条通りまで)
♪ まる たけ えびす に おし おいけ
あね さん ろっかく たこ にしき
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう
せきだ ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう しち(ひっ)ちょうとおりすぎ
はちじょう(はっちょう)こえれば とうじみち
くじょうおおじでとどめさす ♪
まる:丸太町通り たけ:竹屋町通り えびす:夷川通り に:二条通り おし:押小路通り おいけ:御池通り
あね:姉小路通り さん:三条通り ろっかく:六角通り たこ:蛸薬師通り にしき:錦小路通り
し:四条通り あや:綾小路通り ぶっ:仏光寺通り たか:高辻通り まつ:松原通り まん:万寿寺通り
ごじょう:五条通り せきだ:雪駄屋町通り ちゃらちゃら:鍵屋町通り うおのたな:魚の棚通り
ろくじょう:六条通り しちじょう:七条通り はち:八条通り くじょう:九条通り
今いる場所は烏丸通りの六角通りが交差したところ、といわけです。
そしてさっそく目的場所へ・・・
ホテルの近くにあると調べてあったのでぜひとも行きたかった場所・・それはイノダコーヒ本店。
ホテルの朝食がちょっと残念な感があったので今日はイノダコーヒーのモーニングをいただいちゃいます。
イノダコーヒー本店は烏丸御池にある、京都を代表する老舗コーヒー店です。レトロな雰囲気がお洒落な店内は、開店前からモーニング目当てのお客様で、混雑する程の人気です。
旧館のほうへと案内される。
テラス席もあるようだが、満席状態。窓際もすっごくレトロでいい感じ。
テーブルクロスもピンクのギンガムチェックなんてかわいいよね・・・
そしてイチオシ!京の朝食セットをオーダー
クロワッサンにスクランブルエッグはふわふわ〜オレンジジュースは朝の目覚めにはすっきりですね。
そしてコーヒーもgood~
店内にはどこか森の中にいるようなすがすがしい気分になりました。
帰り際通路をのぞくと・・
こんなインコがちゃんといるんです。このこたちのさえずりが森の中にいるようだったのですね。
BGMではない本物の鳥のさえずりです。すてき〜
さぁ〜朝食も終わって行動開始〜
ここは偶然とおりすがってであったところ。六角堂です。
朝のお参りする人も多いのね。
なかなか来ること少ないので堂内を散策しました。
きっとこのあたりは龍馬も来ていたにちがいない。
聖徳太子 建立だって・・・かなり由緒ある堂なんですね。
とりあえず帰ったら調べてみよう・・ということで
看板は必ず撮っていきます。
今日はこれから大原方面へ行こうと思うので叡山鉄道に乗るためにどういう経路でいくか頭を悩ませます。
叡山鉄道は京阪線の出町柳までいかなければいけないので、ここから京阪線駅に近い場所がどこか迷ってしまいます。どうにか京阪祇園四条駅までいって乗り換えて出町柳まで行こうと思います。
三条通りを歩いていると、歴史的重要建築物がたくさんありました。
旧日本銀行京都支店
明治時代に建てられた建物をみるたびに思います、明治維新世界に追いつけおいこせと必死になって西欧化が勧められた日本人の心意気が・・・
武士の時代から何年も経っていないのにすさまじい近代化が進んだ明治時代。
私はこんな建物みても思うのです。きっと龍馬が生きていたならって・・・
西欧に肩を並べて対等になろうとした日本を・・どうみているだろう・・・
きっと力をつけていく日本を・・やがて軍国主義、富国強兵へと進む日本を・・
行く道が違うって止めたんじゃないだろうか・・・
そんな考えをもつ龍馬はいまでいう危険人物だったんだろうな・・・悲しいことに。。
何を言ってるかわからない人はさっと飛ばしてください〜
さっ祇園四条から京阪で出町柳まで行きまーす。
特急出町柳行〜
待っていると2階建てサルーンにも出会いました〜
特急淀屋橋行き〜
さっ次は叡山鉄道に乗り換え
初めて見ましたぁ、かっこいい観光列車のよう。
窓がおしゃれすぎる〜
叡山鉄道はとても混んでいました。
比叡山八瀬駅でおりてそこから大原行のバスに乗って大原入口に着きました。
京都の田舎 しそ畑が多くみられのどかな道を歩いていきます。
渓流が今までの暑さを忘れさせてくれます。
緑に包まれてしあわせ〜.
青もみじ堪能〜マイナスイオン満喫
三千院門跡まで来ました。
勝林寺 ここは飛ばして・・
宝泉寺へ・・
この時期訪れるのは大正解だよ。人が少ないのでこんなアングルも簡単に撮れちゃいます。
圧巻〜
額縁のような景色です。
樹齢700年の五葉松です。
血天井
静寂に包まれて・・
日本の美に酔いしれましょう〜
お抹茶をいただきながら美しさに浸ります。
水の波紋がすっごくきれいでしょ〜これお気に入りなんだけど。。。
そして縁台の木漏れ日・・・
宝泉寺は1時間近く滞在してしまいました。
そしておとなりの実光院へ・・・両方とも御朱印をいただいてきました。
そして大原に来たらなばもうひとつ。宝泉寺、実光院とは反対方向なので田舎道を20分ほど歩きます。
もう気温もだいぶ上がって真夏日のようです。
ところどころにこんな涼の景色が・・・
建礼門院の尼寺です。
建礼門院徳子は、平家の天下を一代で築き上げた太政大臣・平清盛と、桓武平氏の宗家(堂上平氏)の娘・平時子(清盛の死後の二位の尼)の間の娘(次女)で、高倉天皇の中宮、安徳天皇の母だ。壇ノ浦で源氏との戦いに敗れ平家一門は滅亡し、母の二位の尼や安徳天皇は入水。ところが、徳子は生き残り京へ送還され、尼になり、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔って余生を終えた。59歳だった。
保元の乱、平治の乱に勝利して、武家(軍事貴族)ながら朝廷内で大きな力を持つようになり、平氏政権を形成した父の清盛の意思で、藤原氏と同様、天皇の外戚となるため、1171年(承安元年)17歳の徳子は11歳の高倉天皇のもとに入内、中宮となった。清盛は徳子のほかに8人の娘があったが、いずれも権門勢家に嫁がせて勢力を強めていった。入内7年後の1178年(治承2年)24歳になった徳子は安徳天皇を産み、国母と称された。
清盛は皇子降誕を心待ちにしていたが、皇子が誕生すると今度は早く即位させようと躍起になった。一方、後白河院は自身退位後、二条天皇、六条天皇を立てて傀儡化し、強大な力で院政を敷いていた。しかし、この院政も次第に平氏の台頭により大きな制約を受けることになった。
1179年(治承3年)、清盛はクーデターを断行し高倉天皇の父、後白河法皇の院政にとどめを刺し、天皇は譲位し上皇となり、安徳天皇はわずか3歳にして即位した。しかし、実父の後白河法皇と岳父、清盛との確執や福原への遷都、平氏による東大寺焼き討ちなどが続き、こうした心労が重なって、高倉上皇は病床に伏し1181年(養和元年)、21歳の若さでこの世を去ってしまう。
その後、建礼門院徳子は源氏に追われ都落ちする平家一門とともに生きながら、数々の苦しみを経験する。壇ノ浦では硯石や焼石(カイロ代わりの石)を懐に詰めて後を追うが、そばの船にいた源氏の武者に熊手で髪をからめられ、助けられる。源氏に捕われの身となってから、髪を落として、京都の大原にある寂光院に隠棲した。1186年、後白河法皇の大原御幸があり、法皇と親しく対面。この後、それまでの波乱万丈の生涯とはうって変わって、ひたすら平家一門の菩提を弔う静かな生活を続けたといわれる。
今回は大原をゆっくりみてまわりました。大原から1時間ちょっとバスで揺られて京都駅に帰ってきました。
もう4時近くでしたので京都駅でゆっくり食事をしようと思います。
その前に時間があるのでたまには京都駅を撮ろう〜
夕日を浴びたコントラストがいい感じ。171段の巨大な階段。足がすくみそうになるよ・・・
この京都駅をみてあなたはどう思いますか・・・
いにしえの古都京都にこの無機質ともいえる近代的建造物を・・・
まるで宇宙をも思わせやしないだろうか・・・
斬新すぎるこの空間表現〜何のためになんて幼稚な発想はこの建築家にはないのだ。
空中回廊
歴史ある街だからこそ表玄関である京都駅を未来永劫続く世にと願ったのではないだろうか・・・
な〜んてひとり考えてみた。
私は好きだよ・・・だってこれが和風屋根の木造だったらなんかインパクトなさすぎだもんね・・
京都はいまでも京都・・活気があってその伝統をちゃんと貫いていると思った。
そして最後のお決まりは・・中村藤吉京都駅店で食事しま〜す。
生麺 茶蕎麦セット。
抹茶スイーツもたいへんおいしゅうございました。
今回も充実した楽しいそして冒険の旅でした。
日常では味わえないひとりの世界。
きっと誰かと一緒だったら誰かに頼ったりしちゃうんだろうな・・・
ひとりでどうすればいいのか考えて行動する。。
ちょっと孤独との戦いもスリリング感がいいんだけどね・・
たくさんの心のお土産つめてまた明日からがんばります。
こんなことができることに感謝感謝!!
今日も快晴の天気〜また昨日のような照り返すような暑い日になるのでしょうか・・・
朝8:00ホテルをチェックアウト早々の行動開始です。
烏丸通りは京都駅から南北に延びる通りで替え歌があります。
<東西の通り名の唄>(丸太町通り〜九条通りまで)
♪ まる たけ えびす に おし おいけ
あね さん ろっかく たこ にしき
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう
せきだ ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう しち(ひっ)ちょうとおりすぎ
はちじょう(はっちょう)こえれば とうじみち
くじょうおおじでとどめさす ♪
まる:丸太町通り たけ:竹屋町通り えびす:夷川通り に:二条通り おし:押小路通り おいけ:御池通り
あね:姉小路通り さん:三条通り ろっかく:六角通り たこ:蛸薬師通り にしき:錦小路通り
し:四条通り あや:綾小路通り ぶっ:仏光寺通り たか:高辻通り まつ:松原通り まん:万寿寺通り
ごじょう:五条通り せきだ:雪駄屋町通り ちゃらちゃら:鍵屋町通り うおのたな:魚の棚通り
ろくじょう:六条通り しちじょう:七条通り はち:八条通り くじょう:九条通り
今いる場所は烏丸通りの六角通りが交差したところ、といわけです。
そしてさっそく目的場所へ・・・
ホテルの近くにあると調べてあったのでぜひとも行きたかった場所・・それはイノダコーヒ本店。
ホテルの朝食がちょっと残念な感があったので今日はイノダコーヒーのモーニングをいただいちゃいます。
イノダコーヒー本店は烏丸御池にある、京都を代表する老舗コーヒー店です。レトロな雰囲気がお洒落な店内は、開店前からモーニング目当てのお客様で、混雑する程の人気です。
旧館のほうへと案内される。
テラス席もあるようだが、満席状態。窓際もすっごくレトロでいい感じ。
テーブルクロスもピンクのギンガムチェックなんてかわいいよね・・・
そしてイチオシ!京の朝食セットをオーダー
クロワッサンにスクランブルエッグはふわふわ〜オレンジジュースは朝の目覚めにはすっきりですね。
そしてコーヒーもgood~
店内にはどこか森の中にいるようなすがすがしい気分になりました。
帰り際通路をのぞくと・・
こんなインコがちゃんといるんです。このこたちのさえずりが森の中にいるようだったのですね。
BGMではない本物の鳥のさえずりです。すてき〜
さぁ〜朝食も終わって行動開始〜
ここは偶然とおりすがってであったところ。六角堂です。
朝のお参りする人も多いのね。
なかなか来ること少ないので堂内を散策しました。
きっとこのあたりは龍馬も来ていたにちがいない。
聖徳太子 建立だって・・・かなり由緒ある堂なんですね。
とりあえず帰ったら調べてみよう・・ということで
看板は必ず撮っていきます。
今日はこれから大原方面へ行こうと思うので叡山鉄道に乗るためにどういう経路でいくか頭を悩ませます。
叡山鉄道は京阪線の出町柳までいかなければいけないので、ここから京阪線駅に近い場所がどこか迷ってしまいます。どうにか京阪祇園四条駅までいって乗り換えて出町柳まで行こうと思います。
三条通りを歩いていると、歴史的重要建築物がたくさんありました。
旧日本銀行京都支店
明治時代に建てられた建物をみるたびに思います、明治維新世界に追いつけおいこせと必死になって西欧化が勧められた日本人の心意気が・・・
武士の時代から何年も経っていないのにすさまじい近代化が進んだ明治時代。
私はこんな建物みても思うのです。きっと龍馬が生きていたならって・・・
西欧に肩を並べて対等になろうとした日本を・・どうみているだろう・・・
きっと力をつけていく日本を・・やがて軍国主義、富国強兵へと進む日本を・・
行く道が違うって止めたんじゃないだろうか・・・
そんな考えをもつ龍馬はいまでいう危険人物だったんだろうな・・・悲しいことに。。
何を言ってるかわからない人はさっと飛ばしてください〜
さっ祇園四条から京阪で出町柳まで行きまーす。
特急出町柳行〜
待っていると2階建てサルーンにも出会いました〜
特急淀屋橋行き〜
さっ次は叡山鉄道に乗り換え
初めて見ましたぁ、かっこいい観光列車のよう。
窓がおしゃれすぎる〜
叡山鉄道はとても混んでいました。
比叡山八瀬駅でおりてそこから大原行のバスに乗って大原入口に着きました。
京都の田舎 しそ畑が多くみられのどかな道を歩いていきます。
渓流が今までの暑さを忘れさせてくれます。
緑に包まれてしあわせ〜.
青もみじ堪能〜マイナスイオン満喫
三千院門跡まで来ました。
勝林寺 ここは飛ばして・・
宝泉寺へ・・
この時期訪れるのは大正解だよ。人が少ないのでこんなアングルも簡単に撮れちゃいます。
圧巻〜
額縁のような景色です。
樹齢700年の五葉松です。
血天井
静寂に包まれて・・
日本の美に酔いしれましょう〜
お抹茶をいただきながら美しさに浸ります。
水の波紋がすっごくきれいでしょ〜これお気に入りなんだけど。。。
そして縁台の木漏れ日・・・
宝泉寺は1時間近く滞在してしまいました。
そしておとなりの実光院へ・・・両方とも御朱印をいただいてきました。
そして大原に来たらなばもうひとつ。宝泉寺、実光院とは反対方向なので田舎道を20分ほど歩きます。
もう気温もだいぶ上がって真夏日のようです。
ところどころにこんな涼の景色が・・・
建礼門院の尼寺です。
建礼門院徳子は、平家の天下を一代で築き上げた太政大臣・平清盛と、桓武平氏の宗家(堂上平氏)の娘・平時子(清盛の死後の二位の尼)の間の娘(次女)で、高倉天皇の中宮、安徳天皇の母だ。壇ノ浦で源氏との戦いに敗れ平家一門は滅亡し、母の二位の尼や安徳天皇は入水。ところが、徳子は生き残り京へ送還され、尼になり、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔って余生を終えた。59歳だった。
保元の乱、平治の乱に勝利して、武家(軍事貴族)ながら朝廷内で大きな力を持つようになり、平氏政権を形成した父の清盛の意思で、藤原氏と同様、天皇の外戚となるため、1171年(承安元年)17歳の徳子は11歳の高倉天皇のもとに入内、中宮となった。清盛は徳子のほかに8人の娘があったが、いずれも権門勢家に嫁がせて勢力を強めていった。入内7年後の1178年(治承2年)24歳になった徳子は安徳天皇を産み、国母と称された。
清盛は皇子降誕を心待ちにしていたが、皇子が誕生すると今度は早く即位させようと躍起になった。一方、後白河院は自身退位後、二条天皇、六条天皇を立てて傀儡化し、強大な力で院政を敷いていた。しかし、この院政も次第に平氏の台頭により大きな制約を受けることになった。
1179年(治承3年)、清盛はクーデターを断行し高倉天皇の父、後白河法皇の院政にとどめを刺し、天皇は譲位し上皇となり、安徳天皇はわずか3歳にして即位した。しかし、実父の後白河法皇と岳父、清盛との確執や福原への遷都、平氏による東大寺焼き討ちなどが続き、こうした心労が重なって、高倉上皇は病床に伏し1181年(養和元年)、21歳の若さでこの世を去ってしまう。
その後、建礼門院徳子は源氏に追われ都落ちする平家一門とともに生きながら、数々の苦しみを経験する。壇ノ浦では硯石や焼石(カイロ代わりの石)を懐に詰めて後を追うが、そばの船にいた源氏の武者に熊手で髪をからめられ、助けられる。源氏に捕われの身となってから、髪を落として、京都の大原にある寂光院に隠棲した。1186年、後白河法皇の大原御幸があり、法皇と親しく対面。この後、それまでの波乱万丈の生涯とはうって変わって、ひたすら平家一門の菩提を弔う静かな生活を続けたといわれる。
今回は大原をゆっくりみてまわりました。大原から1時間ちょっとバスで揺られて京都駅に帰ってきました。
もう4時近くでしたので京都駅でゆっくり食事をしようと思います。
その前に時間があるのでたまには京都駅を撮ろう〜
夕日を浴びたコントラストがいい感じ。171段の巨大な階段。足がすくみそうになるよ・・・
この京都駅をみてあなたはどう思いますか・・・
いにしえの古都京都にこの無機質ともいえる近代的建造物を・・・
まるで宇宙をも思わせやしないだろうか・・・
斬新すぎるこの空間表現〜何のためになんて幼稚な発想はこの建築家にはないのだ。
空中回廊
歴史ある街だからこそ表玄関である京都駅を未来永劫続く世にと願ったのではないだろうか・・・
な〜んてひとり考えてみた。
私は好きだよ・・・だってこれが和風屋根の木造だったらなんかインパクトなさすぎだもんね・・
京都はいまでも京都・・活気があってその伝統をちゃんと貫いていると思った。
そして最後のお決まりは・・中村藤吉京都駅店で食事しま〜す。
生麺 茶蕎麦セット。
抹茶スイーツもたいへんおいしゅうございました。
今回も充実した楽しいそして冒険の旅でした。
日常では味わえないひとりの世界。
きっと誰かと一緒だったら誰かに頼ったりしちゃうんだろうな・・・
ひとりでどうすればいいのか考えて行動する。。
ちょっと孤独との戦いもスリリング感がいいんだけどね・・
たくさんの心のお土産つめてまた明日からがんばります。
こんなことができることに感謝感謝!!