第3日目後半〜
長崎さるくも終え、お手軽コースとたっぷりコースに別れての行動でしたが、次の長崎奉行所、龍馬伝館で合流しますといってもお手軽コースは先に長崎奉行所をみているので、見学した後の合流となります。
バスに乗り移動ですが、ガイドさんがここが出島ですといったのであわてて写真を撮りました。
セーフ〜〜〜どうにか写っていました
出島といっても出島があった場所で今はこんな川だけになっています。
そしてその川の横にある出島の資料館
鎖国時代日本と西洋とが交流する唯一窓口だった出島。200年もの間オランダ人が住んだこの地から西洋の経済・文化・学問が伝わって日本の近代化に大きな影響を与えました。
そして長崎歴史文化博物館、長崎奉行所、龍馬伝館を一気に見ます。入口にある岩崎弥太郎像。
となりの坂本龍馬像。
長崎歴史文化博物館、長崎奉行所、龍馬伝館も写真を撮ってはいけない場所ばかりなのでちょっと残念です
さて龍馬伝館のブースではやっぱりすごい人気ですかねぇ〜
いちおうミーハーしちゃいました〜〜〜
龍馬伝で着用の着物です。ざ〜っとみて終わっちゃった〜〜もっと時間がほしいよ〜〜
長崎奉行所では職員たちによる演劇もやっていました。
何しろ見る時間が少ないので急げ急げという感じでした
そして3人組みとも合流、次の場所で昼食を・・・
私たちは昼食オプションを入れてなかったので普通に皿うどんを注文。これで600円です。
ちなみに昼食オプションは皿うどんと長崎中華ランチで1000円だったそうです。
ツアーの方たちと円卓でとりわけて食べるタイプだったようです。単品で600円でたっぷりでこちらのほうが安くておいしかったねしよかったね〜〜
そして次は長崎平和祈念公園に行きました
記念公園は祈る祈念と書きます。
広島と同様、たくさんの命を一瞬で奪った原爆は許すことはできません
たくさんの尊い命を無駄にすることないようひとりひとりが平和を願いたいですね〜
平和祈念公園は原爆が落とされた当時は刑務所だったようで、その建物の後が今でも残されています。
聖母マリア像
平和の鐘
平和の泉。当時原爆で水を求めてさまよった人々への泉として祈りをこめて建てられました。
そして次は大浦天主堂です。
気温も上がってきましたこの坂道にはたくさんのお土産屋さんが立ち並んでいます
だんだん教会が見えてきました。
大浦天主堂は「日本二十六聖殉教者天主堂」からもわかるように、1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
真下からみた天主堂
石畳も歴史を感じます
大浦天主堂の入口付近から下をみた景色。
天主堂内は撮影禁止。お祈りする方もいるので静かにみてきましたが、やはりステンドガラスが綺麗な影を落とし、そのきれいなこと・・・
キリシタン資料室。
踏み絵なども飾られているようです。ここは時間の関係で素通り
となり続きになっているグラバー園へ〜〜〜
まだ高台にあるので歩く歩道で上へ行きます
グラバー邸入口
スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと。当時長崎の街は日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていました。
遠く大洋を越え、夢を抱いてやってくる異国の商人たち、統幕の野望に燃える幕末の志士たちや、西洋の学問を志す日本の若者たち。あれから100年以上たった今も形を変えることなく残されています。
綺麗に手入れされた花壇
そうそう〜ここで去年大晦日の紅白で福山雅治(ましゃ)が歌ったとこよね〜
きらきら光った光線がきれいだったわ〜
ここからみる夜景も素敵なんですって・・・
グラバーさんの像
グラバー商会を設立。造船、製茶貿易業を通じて、わが国の近代化に貢献しました。幕末の激動の時代の中、志士達を陰で支え薩摩藩士らの英国留学を手伝うなど、若い人々への多大な援助を惜しみませんでした。
そして日本人女性、ツルとの間に子供を授かり温かな家庭をつくり、仲むつまじく日本で終生を過ごしました。
樹齢300年の国内最大のソテツ。
軍艦などの船舶の建造や仲介など薩摩藩に尽くしたグラバーにプレゼントしたもの。
邸内
中庭のブーゲンビリアがとってもきれい〜
ノスタルジックを感じるピアノ
台所。
食卓の再現。当時にしたら豪華な洋食です。
こちら隠し部屋。
龍馬も隠れたかもしれない?
このグラバー邸もざぁ〜っとみてきましたが、この園内には他にも長崎異留地の邸宅がたくさん移設再現されています。
もっと時間があればなぁ〜とここでもまだなごりおしい気持ちです。
お蝶婦人のプッチーニの像
三浦環の像もありました。
龍馬伝をみてこの土地に興味を持ちましたが、長崎を舞台に展開した放映は7月中旬ころのようですので、この気持ちが熱しているうちにみれるかしら〜
それにしても盛りだくさんな素敵な思い出がたくさんできました
龍馬がみた長崎をちょっぴりですけど感じられたことに満足し今回の旅は終わりたいと思います。
素敵な街長崎また来ますね〜
帰りは福岡空港より一路羽田へ〜
となりのANAは龍馬伝ペイントの飛行機です。(samuraijapan)龍馬すてきな旅ありがとう〜
追伸
今回私は自分のカメラを持っていくのを忘れたという最大のドジをやっていしまいました携帯のカメラで撮ったのもありますが、ほとんどが友人M子さんにお借りしたデジカメでございます
天候がよくすばらしい写真を撮ることができまして、M子さん本当に助かりました。ありがとうございましたこの場をかりてお礼申し上げます〜
↑↑↑↑
ブログランキング参加中!
龍馬の旅に最後までおつきあいありがとう
応援よろしくね・・ポチっとね
長崎さるくも終え、お手軽コースとたっぷりコースに別れての行動でしたが、次の長崎奉行所、龍馬伝館で合流しますといってもお手軽コースは先に長崎奉行所をみているので、見学した後の合流となります。
バスに乗り移動ですが、ガイドさんがここが出島ですといったのであわてて写真を撮りました。
セーフ〜〜〜どうにか写っていました
出島といっても出島があった場所で今はこんな川だけになっています。
そしてその川の横にある出島の資料館
鎖国時代日本と西洋とが交流する唯一窓口だった出島。200年もの間オランダ人が住んだこの地から西洋の経済・文化・学問が伝わって日本の近代化に大きな影響を与えました。
そして長崎歴史文化博物館、長崎奉行所、龍馬伝館を一気に見ます。入口にある岩崎弥太郎像。
となりの坂本龍馬像。
長崎歴史文化博物館、長崎奉行所、龍馬伝館も写真を撮ってはいけない場所ばかりなのでちょっと残念です
さて龍馬伝館のブースではやっぱりすごい人気ですかねぇ〜
いちおうミーハーしちゃいました〜〜〜
龍馬伝で着用の着物です。ざ〜っとみて終わっちゃった〜〜もっと時間がほしいよ〜〜
長崎奉行所では職員たちによる演劇もやっていました。
何しろ見る時間が少ないので急げ急げという感じでした
そして3人組みとも合流、次の場所で昼食を・・・
私たちは昼食オプションを入れてなかったので普通に皿うどんを注文。これで600円です。
ちなみに昼食オプションは皿うどんと長崎中華ランチで1000円だったそうです。
ツアーの方たちと円卓でとりわけて食べるタイプだったようです。単品で600円でたっぷりでこちらのほうが安くておいしかったねしよかったね〜〜
そして次は長崎平和祈念公園に行きました
記念公園は祈る祈念と書きます。
広島と同様、たくさんの命を一瞬で奪った原爆は許すことはできません
たくさんの尊い命を無駄にすることないようひとりひとりが平和を願いたいですね〜
平和祈念公園は原爆が落とされた当時は刑務所だったようで、その建物の後が今でも残されています。
聖母マリア像
平和の鐘
平和の泉。当時原爆で水を求めてさまよった人々への泉として祈りをこめて建てられました。
そして次は大浦天主堂です。
気温も上がってきましたこの坂道にはたくさんのお土産屋さんが立ち並んでいます
だんだん教会が見えてきました。
大浦天主堂は「日本二十六聖殉教者天主堂」からもわかるように、1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
真下からみた天主堂
石畳も歴史を感じます
大浦天主堂の入口付近から下をみた景色。
天主堂内は撮影禁止。お祈りする方もいるので静かにみてきましたが、やはりステンドガラスが綺麗な影を落とし、そのきれいなこと・・・
キリシタン資料室。
踏み絵なども飾られているようです。ここは時間の関係で素通り
となり続きになっているグラバー園へ〜〜〜
まだ高台にあるので歩く歩道で上へ行きます
グラバー邸入口
スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと。当時長崎の街は日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていました。
遠く大洋を越え、夢を抱いてやってくる異国の商人たち、統幕の野望に燃える幕末の志士たちや、西洋の学問を志す日本の若者たち。あれから100年以上たった今も形を変えることなく残されています。
綺麗に手入れされた花壇
そうそう〜ここで去年大晦日の紅白で福山雅治(ましゃ)が歌ったとこよね〜
きらきら光った光線がきれいだったわ〜
ここからみる夜景も素敵なんですって・・・
グラバーさんの像
グラバー商会を設立。造船、製茶貿易業を通じて、わが国の近代化に貢献しました。幕末の激動の時代の中、志士達を陰で支え薩摩藩士らの英国留学を手伝うなど、若い人々への多大な援助を惜しみませんでした。
そして日本人女性、ツルとの間に子供を授かり温かな家庭をつくり、仲むつまじく日本で終生を過ごしました。
樹齢300年の国内最大のソテツ。
軍艦などの船舶の建造や仲介など薩摩藩に尽くしたグラバーにプレゼントしたもの。
邸内
中庭のブーゲンビリアがとってもきれい〜
ノスタルジックを感じるピアノ
台所。
食卓の再現。当時にしたら豪華な洋食です。
こちら隠し部屋。
龍馬も隠れたかもしれない?
このグラバー邸もざぁ〜っとみてきましたが、この園内には他にも長崎異留地の邸宅がたくさん移設再現されています。
もっと時間があればなぁ〜とここでもまだなごりおしい気持ちです。
お蝶婦人のプッチーニの像
三浦環の像もありました。
龍馬伝をみてこの土地に興味を持ちましたが、長崎を舞台に展開した放映は7月中旬ころのようですので、この気持ちが熱しているうちにみれるかしら〜
それにしても盛りだくさんな素敵な思い出がたくさんできました
龍馬がみた長崎をちょっぴりですけど感じられたことに満足し今回の旅は終わりたいと思います。
素敵な街長崎また来ますね〜
帰りは福岡空港より一路羽田へ〜
となりのANAは龍馬伝ペイントの飛行機です。(samuraijapan)龍馬すてきな旅ありがとう〜
追伸
今回私は自分のカメラを持っていくのを忘れたという最大のドジをやっていしまいました携帯のカメラで撮ったのもありますが、ほとんどが友人M子さんにお借りしたデジカメでございます
天候がよくすばらしい写真を撮ることができまして、M子さん本当に助かりました。ありがとうございましたこの場をかりてお礼申し上げます〜
↑↑↑↑
ブログランキング参加中!
龍馬の旅に最後までおつきあいありがとう
応援よろしくね・・ポチっとね