さて今回のお目当て、薩長同盟の裏書きをみに行きましょう〜
皇居東御苑内の宮内庁三の丸尚蔵館に向かいます
今回見学するものは宮内庁が保管してきた皇室伝来の文書や図版などの名品を初めてまとまった形で一般公開する「皇室の文庫(ふみくら)」展です。
去年千鳥が渕のお花見に来た以来、お堀の水もたっぷりあります。
大手門からはいるとまもなく宮内庁があるみたいです。
龍馬ブームもあってかかなり入城していく人がいます。
江戸城は現在天守閣とされる城はないものの、かつては相当な広さを誇った城らしく櫓はいまでも立派に健在しています
大手門の内側。
昔の大手門渡櫓の鯱
昔の面影を残している大手門
大手門を抜けるとすぐ三の丸尚蔵館がありました。
明治維新期の「薩長同盟裏書(さっちょうどうめいうらがき)」は、1866年に坂本龍馬が桂小五郎(後の木戸孝允)の求めに応じて「薩長同盟」の六カ条を保証するために書いた自筆の裏書きだ。昭和に入り、木戸家から皇室に献上されたものです。
慶応2年1月21日薩長同盟成立時に文書は交わされなかったようだ。
そのため長州の桂は龍馬に同盟内容の確認と裏書を求めて手紙を送った。
実際に見てみて、以外と小さいものだなぁと感じました。巻物になっているのですが、龍馬が書いたほうが上になっていてA4サイズくらいな大きさに書かれていました。
内容は・・・
表に御記被成候六条ハ、小・西両氏及、老兄・龍等も御同席ニて論談セシ所ニて、毛
わずかも相違無之候、後来といへども決して変り 候事無之なきことそうろうこれハ、神明の知る所ニ御座候
丙寅二月五日 坂本龍
※文中、小は小松、西は西郷、老兄は木戸、龍は龍馬
薩長同盟条文 (木戸が書いた表書き)
一、戦争が起こった場合は、すぐさま薩摩藩はすぐ二千の兵力を京都に上らせ、
現在の兵力と合し、また別に千人程の兵を大坂において京坂両所を固める事。
一、戦が長州の勝利になった時は、薩摩藩は朝廷に上申して必ず長州のために尽力する事。
一、万一長州が敗れた時も、一年や半年で藩が潰滅かいめつすることはないから、その間に薩摩藩が尽力する事。
一、幕府が軍を引き揚げた時は、薩摩藩は朝廷に上申して、長州の冤罪えんざいを直ちに朝廷がお赦ゆるしになるようきっと尽力する事。
一、京坂に兵士を上らせた以上、一橋、会津藩や桑名藩等も今のような態度を続けて、もったいなくも朝廷を擁し奉り、正義を拒み、周旋尽力の道を遮さえぎる時は、幕府とやむをえず決戦の他なき事。
一、長州藩の冤罪が解けた時は、薩摩藩と長州藩は誠心をもって相合し、皇国のために砕身尽力することはもちろんのこと、いずれの道にしても今日より両藩が皇国のために皇威が輝き回復することを目途に、誠心を尽くしきっと尽力する事。
144年前実際に龍馬が書いた裏書きを見ることができて感動です。
明日のニッポンを想い、みんなが幸せに暮らせる国を夢見て散った龍馬。
そんな願いも空しく、戦争の時代に入っていく、明治、昭和。龍馬が思う日本にはならなかったのかもしれない。
歴史とは善悪はないといった人がいた。そうかもしれない。そして私たちもその大河の流れの中に生きている歴史のひとつなのだ。
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皇居東御苑内の宮内庁三の丸尚蔵館に向かいます
今回見学するものは宮内庁が保管してきた皇室伝来の文書や図版などの名品を初めてまとまった形で一般公開する「皇室の文庫(ふみくら)」展です。
去年千鳥が渕のお花見に来た以来、お堀の水もたっぷりあります。
大手門からはいるとまもなく宮内庁があるみたいです。
龍馬ブームもあってかかなり入城していく人がいます。
江戸城は現在天守閣とされる城はないものの、かつては相当な広さを誇った城らしく櫓はいまでも立派に健在しています
大手門の内側。
昔の大手門渡櫓の鯱
昔の面影を残している大手門
大手門を抜けるとすぐ三の丸尚蔵館がありました。
明治維新期の「薩長同盟裏書(さっちょうどうめいうらがき)」は、1866年に坂本龍馬が桂小五郎(後の木戸孝允)の求めに応じて「薩長同盟」の六カ条を保証するために書いた自筆の裏書きだ。昭和に入り、木戸家から皇室に献上されたものです。
慶応2年1月21日薩長同盟成立時に文書は交わされなかったようだ。
そのため長州の桂は龍馬に同盟内容の確認と裏書を求めて手紙を送った。
実際に見てみて、以外と小さいものだなぁと感じました。巻物になっているのですが、龍馬が書いたほうが上になっていてA4サイズくらいな大きさに書かれていました。
内容は・・・
表に御記被成候六条ハ、小・西両氏及、老兄・龍等も御同席ニて論談セシ所ニて、毛
わずかも相違無之候、後来といへども決して変り 候事無之なきことそうろうこれハ、神明の知る所ニ御座候
丙寅二月五日 坂本龍
※文中、小は小松、西は西郷、老兄は木戸、龍は龍馬
薩長同盟条文 (木戸が書いた表書き)
一、戦争が起こった場合は、すぐさま薩摩藩はすぐ二千の兵力を京都に上らせ、
現在の兵力と合し、また別に千人程の兵を大坂において京坂両所を固める事。
一、戦が長州の勝利になった時は、薩摩藩は朝廷に上申して必ず長州のために尽力する事。
一、万一長州が敗れた時も、一年や半年で藩が潰滅かいめつすることはないから、その間に薩摩藩が尽力する事。
一、幕府が軍を引き揚げた時は、薩摩藩は朝廷に上申して、長州の冤罪えんざいを直ちに朝廷がお赦ゆるしになるようきっと尽力する事。
一、京坂に兵士を上らせた以上、一橋、会津藩や桑名藩等も今のような態度を続けて、もったいなくも朝廷を擁し奉り、正義を拒み、周旋尽力の道を遮さえぎる時は、幕府とやむをえず決戦の他なき事。
一、長州藩の冤罪が解けた時は、薩摩藩と長州藩は誠心をもって相合し、皇国のために砕身尽力することはもちろんのこと、いずれの道にしても今日より両藩が皇国のために皇威が輝き回復することを目途に、誠心を尽くしきっと尽力する事。
144年前実際に龍馬が書いた裏書きを見ることができて感動です。
明日のニッポンを想い、みんなが幸せに暮らせる国を夢見て散った龍馬。
そんな願いも空しく、戦争の時代に入っていく、明治、昭和。龍馬が思う日本にはならなかったのかもしれない。
歴史とは善悪はないといった人がいた。そうかもしれない。そして私たちもその大河の流れの中に生きている歴史のひとつなのだ。
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